日本一の個人投資家といわれた
竹田本社株式会社
たまごボーロ 麦ふぁ~で有名な
竹田製菓株式会社
代表取締役
智徳志士の会 代表理事
竹田 和平氏
2015.9.1 14:00
◆業種
教育事業
◆子供のころになりたかったものは?
猿飛佐助、霧隠才蔵
当時のヒーローだ。
しかし母は私を商売人にしたかった。
母の二人の兄がそろばんを片手にカッコ良く商売をしていたので、母は商売人に憧れていた。
私が生れた頃の職業と言えば、職人か肉体労働者か商人の選択肢は3つ、サラリーマンは殆どいなかった。
竹田家は元々農業を営んでいた大家族で、両親が菓子製造業を始めた。
しかし職人だけでは儲からず、借金を返すために働く毎日だったという。
そのため母は、私に商売人になってほしいという思いが強かったのだろう。
私が生れた時、祖父は他界していたので祖母を筆頭に、父方の叔父叔母9人、母方の叔父叔母8人総勢18人の大所帯だった。
大所帯だが「借金を返す」という目標に向かって家族が一丸となった。
借金があったお陰とも言う。
その中で初孫の私は愛情たっぷりに育った。
私を商人にしたい母は、私が小学校2年生になるとそろばん塾に通わせた。
当時のそろばん塾は30人〜40人程の生徒がおり、とても活気付いていた。
先生が問題を出すと皆が我先に「ハイ、ハイ」と手を挙げる。
答えが合っていると「ご明算」と言ってカードがピュと飛んでくる。
そのカードが貰いたくて一早く答えを出すため必死に計算した。
カードが貰えるようになると、たくさん集めて積み重ねたくなり益々必死に計算した。
毎日2年間通って、小学校3年生にはそろばんが頭に浮かび3ケタの足し算が暗算で出来るようになっていた。
しかしその頃から戦争が激しくなり、物資も不足してきた。
菓子製造業をしていたので、材料を求めて一家で満州に渡ったこともある。
しかし、材料はあっても買い手がいなかったため商売にならず1年で帰国。
日本は財政破たんと化していた。
軍備を整えるのに政府はお金をたくさん刷るが、国民が自由に使えないようにした。
生活品や食料を買うには政府の発行した切符がなければ、お金がいくらあっても使えない仕組みだ。
私は「お金のリストラ」と呼んでいる。
中学生になって町の中学に通い始めたが、1年生は農地の開墾作業ばかりで授業らしい授業は一切なかった。
空を見上げれば爆弾が雨のように降って来る、尋常ではない日常だった。
中学3年生は軍需工場で飛行機の部品をつくり、中学4、5年生は名古屋の中心部で飛行機を製造していた。
中学4、5年生の飛行機工場に爆撃が落ちた。
東京大空襲2日後、昭和20年3月12日の名古屋大空襲だった。
多くの生徒が犠牲になり、学校で合同慰霊祭をしたことを覚えている。
終戦はその4ヶ月後の事だった。
当時は武器も不足し、地上戦になったら打たれるのを覚悟で銃を構えた敵に「大和魂見せて来い!」と素手でも向かっていくことを教えられた。
武器を持たない少年を撃ったとなれば、敵も気分が悪かろう。
自分が死んでも敵に少しでもダメージを与えたいという、今では考えられない時代だった。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
1、一日一言ブログを9年間毎日書いている。
「知致」は以前からとっていたが、あまりよく読んだ事が無かった。
9年前に病気をし、1ヶ月の入院をしたとき暇だったから「知致」という雑誌を読んだ。
しかしながら読んでみると精神修養になる雑誌だ。
そこに「一日一言」と書いてあり、自分でも実践してもようと思い立ったのがきっかけ。
毎日ブログを書く事は頭の訓練にもなる。
株式市場において巨額の「買い」を入れてくる日本の公的機関など事を「くじら」というが、そういった専門的な話をわかりやすく書いている。
また年金問題等その時代時代の合わせたテーマを掲げてシリーズ化したり、真心で生きることを連載にしたりしている。
今は「財政リストラを考える」としてシリーズをスタートさせた。
80年に一度、大不況が訪れると言われている。
今年は戦後70年、後10年程で戦中戦後のような大不況が来ると予想される。
それを乗り越えるためにも智徳志士の会を発足した。
国を守るためにボランティアで、5年で5倍の所得向上を目指す「智徳志士の会」という勉強会を開いたが、ボランティアだと受講者が続かない。
勉強会の運営をフランチャイズで募集、生徒を30人以上集められる人を条件とした。
今年の10月5日から第二期が開講する。
500社の会社設立に関わった渋沢栄一氏に焦点をおいて、「徳」を中心に問答する。
竹田本社には若き日の渋沢栄一氏の銅像も建てた。
2、その時々で集中して実践することがある。
ありがとうの実践
「ありがとう」を500万回唱えようと目標を設定し、一日3000回を5年間続けた。
こういうことはダラダラ続ける事はぜず、期限を決めて集中する。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
・本
吉川英治の「新書太閤記」全9巻は13歳の時に読破した。
時代のヒーローである歴史上の人物に興味をもった。
私は好奇心旺盛で、何でも日本一が好き。
誰にでも出来ることではなく、自分が出来ることが天命と思う。
また自由が好きで、型にはめたような教育では自由な発想を引き出せないと思っている。
・人物
経済人では、ソフトバンクの孫正義氏、ユニクロの柳井正氏等が世界を牽引しているヒーローだと思う。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「幸福とは目標に向かってする道程にあり」
立志!目標!チャレンジ!という人生を歩んで来て、中学の時、真実かどうか悩んだ事がわかって来た。
目標を達成することが重要ではなく、目標を立ててそれに向かって行動する過程に幸福がある。
私は、これまで22回の地鎮祭をした。
お菓子のテーマパーク「お菓子の城」、招福純金百尊家宝の竹田本社社屋等を含む22の建物を建てたという事だ。
一つ一つ目標を立て、達成までの道程を楽しみ、一つの目標が達成されると直ぐに次の目標を立てて続けた結果だ。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
1、59歳の時
1ヶ月の入院をすることになった時、「黄金の国ジパング」を証明しようと思った。
「望む家宝を 望む価額で創造しよう」と金相場120%の価格で招福純金百尊家宝をつくった。
福を招く百の神々様を彫り込んだメダル型の純金工芸品。
100枚の合計は1000g、この構想が浮かんだ時物凄く感激した。
そして恵比寿様になろうと思った。
2、69歳の時
また1ヶ月の入院
恵比寿様を目指して病気になったので、今度は花咲爺になることにした。
花咲爺といじわる爺の違いは、エゴにある。
犬が吠えた場所を掘る、臼で餅をつく、枯れ木に灰を撒く等と動作は全く同じ事をしたのに、真心でした花咲爺と自分のエゴのためにしたいじわる爺の結果は真逆だ。
ある時、祈っているといつも同じ光景が見える時期があった。
NHKを見ていると同じ景色が映り、それはブータンだとわかった。
そして祈りの光景に現れる人物は自分だと悟った。
今世は真心で生きよう。
真心は平和をつくる。
真心で生きると決めれば良い。
真心でできた世は無尽蔵、無限創造力が働く。
真心で出来た世を「まろわの世」とし世間に広める事にした。
人は皆宇宙の子、真心とは自分の中にある魂のようなもの、神の別所であり天意が入っている。
肉体は滅びても真心は永遠に続く。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
わすれた。
前しか向いていないので、過去の問題も栄光も振り返る事はない。
今も前へ前へと前進中だ。
◆夢は?
真心に生きる。
一個人投資家としても、まだ答えを出していない。
これからも創業していく若い人に投資する。
新しい時代は若い人が創るからだ。
そして最大の目標は、肉体をもったままエゴの無い人生を歩むこと。
お釈迦様が悟りをひらいた時もそうだったのではないかと思う。
花咲爺・竹田和平
公式サイト 一日一言ブログ
http://www.takedawahei.net/
智徳立志の会
http://chitokushishinokai.or.jp/
招福純金百尊家宝
http://www.takedahonsha.co.jp/index.html
まろわUP!純金福わ内
http://www.hukuwauchi.net/index.html
一般社団法人まろわ協会
http://marowa.net/
竹田製菓株式会社
http://www.rakuten.co.jp/arigatouboro/
お菓子のテーマパーク「お菓子の城」
http://www.okashino-shiro.jp/