一般社団法人 OSTi
代表理事
大津留榮佐久氏
2016.1.15 10:00
11月生まれ
出身地:湯布院
◆業種
産学官金民連携プロジェクト推進
ICT・エレクトロニクス 事業プロデューサ
◆子供のころになりたかったものは?
プロ野球選手
プロ野球が流行っていた時代、多くの少年が憧れた。
私は姉が4人いて、やっと生まれた男児だったので、祖父母や両親から大事にされた。
特に祖父は、私が寝ている間ずっとうちわで仰いでいてくれた程。
とにかく可愛がってくれたことを覚えている。
父も祖父も国鉄マンで管理職についていた。
労働争議が勃発すると、労働争議を抑える立場にいたせいもあるが、大人たちは、争議活動ばかりに力を注ぎ、全く働いていないように見えた。
大人はなぜ争うのか?と腹立たしささえ感じた事がある。
大学は、特に数学が好きだったので工学部に進学した。
卒業後は知人の紹介で半導体の外資系企業、日本テキサス・インスツルメンツ株式会社(日本TI)に就職した。
当時は半導体といっても一般には殆ど知られていない時代。
大分県日出町にある工場に配属となり、製造技術職についた。
外資系なので学閥もなく、自分の努力次第で出世できた。
業界としても30年に渡り2ケタ成長を続けた産業は半導体以外ない。
日本TIには22年いたが、これ程成長できる時代に半導体の仕事に就けた事を感謝している。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
経営者としては、本田技研工業株式会社の創業者 本田宗一郎氏、ソニーの創業者 井深大氏、テキサス・インスツルメンツの創業者パットハガティ氏を尊敬している。
パットハガティ氏は、私が入社した翌年、創立50周年の年に亡くなった。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「真 善 美」
最後の美が大事。
この美は外見の美しさのことではなく、内面的な生き方の事をさす。
傲慢さを捨て、自己の利益のみに執着しない事を心がけている。
簡単に言うと、礼節をわきまえ、素直に努めること、当たり前の事を当たり前に行う。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
20代から50代までの間、10年毎に転機があった。
日本TIの東京本社で仕事をしていた頃、九州の実家の父が癌になり、私は長男として実家に帰らなければならなくなった。
父は2年後に亡くなったが、日本TIはこの2年間私の自由にさせてくれた。
仕事はもちろんきちんとしていたが、外資系の懐の深さを感じた。
日本TIに入社して20年経った頃だったので、そろそろ外で腕試しをしたいと考えるようになった。
それまでもヘッドハンティングの話はいくつかあったが、TIが日本に参入する際、ソニーの創業者 井深大氏にTIの日本進出を支援していただいた(鳩ケ谷工場での合弁事業)と言うご縁があったので、恩返しのつもりでソニーセミコン九州に転職を決めた。
ソニーの半導体部門が福岡にセミコン九州の本社設立のタイミングだった。
期待された任務は、大分テクノロジーセンターでの新規事業立ち上げだ。
不採算部門を整理してデジタルカメラに特化し、赤字だった大分テクノロジーセンターを当初2年で黒字転換させた。
大分テクノロジーセンターの代表としてがむしゃらに働いた。
ソニー九州に転職して5年後、任務が終了した事もあり、次世代の若い人たちと交流してみたいと思い、九州大学大学院 工学研究院 特任教授の誘いを受ける事にした。
約2年の国立大学法人化、システム改革のプロジェクト推進の最中、(公財)福岡県産業・科学技術振興財団 システムLSI推進プロデューサの就任依頼も受け、約10年間産学官連携プロジェクト推進に携わり、そして昨年末、産学官金民連携における事業プロデュースすることを目的とし、高度人材を組織化、実社会への価値提供実現を支援するため「一般社団法人OSTi(オスティ)」を立ち上げた。
「事業プロデューサー」等、地域における価値創造や課題解決に必要なスペシャリストを配備して、全国各地域の研究・開発・実証・実装・普及プロセスを紡ぎながら、国際的なマーケティングも提供、持続可能社会構築に貢献する。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
今迄に大きな問題は3つあった。
全て公表することは出来ないので、1つ目の話をする。
20代後半、新規外注工場の立ち上げを担当したが、マーケティング部門が需要予測を見誤り、操業縮小を余儀なくされ、外注先でリストラしなければならなくなった。
この矛盾に満ちた出来事は、若かった私にはとても精神的にきつかった。
しかし5年後には、私がそのマーケティング部門の管理職に就いた。
◆夢は?
教え育む!
大学等の教育機関に限らず活動していく。
机の上の学問としての技術経営学ではなく、実践で培った経験をもとに本質的な事を伝えて行きたい。
今でも大企業の幹部教育等を担当しているが、今後は次世代の若者や女性へと活動の場を広げていきたい。
既に私の周りの有資格者は殆どが女性であり、女性の機能の方が男性より優れていると思っている。
今まさに若者と女性が活躍する時代だ。
Give&Takeというが、私はGive Give Give&Takeが良いと思っている。
縁を紡ぎ、次世代に繋ぐこと、私のお役と思っている。
大津留 榮佐久 (おおつる えいさく)プロフィール
九大ビジネススクール・九州工業大学・福大工学研究科 客員教授
研究・イノベーション学会 副会長
イノベーション・フロンティア
分科会 主査
電子情報通信学会員 エレクトロニクス ソサエティ
DBJ(日本政策投資銀行)キャピタル シニアアドバイザー
一般社団法人 世界貿易センター東京 評議員
福岡次世代社会システム創出推進拠点 プロジェクトディレクター
1979年 米半導体大手 Texas Instrument Japan入社、技術マーケティング、システムBU・グループ長歴任
Reengineeringプロジェクト日本TI代表、BPD (Business Plan Development) 社内認定講師
2001年 ソニーセミコンダクタ九州(株)にて実装部門 部門長、SIP(System Integration
Platform) 事業部長、
大分テクノロジーセンター代表、プロキュアメント(国際資材調達)部門長を歴任し、
2005年 九州大学大学院 工学研究院 スーパーCOEプログラム (USI機構)執行部
特任教授を経て、
2007年 (公財)福岡県産業・科学技術振興財団 システムLSI推進プロデューサ 兼
文部科学省 地域イノベーションクラスタープログラム 福岡先端システムLSI開発クラスター戦略本部
事業総括に就任。 2012.3月期末 5年間の地域イノベーションクラスタープログラムを完了。「S」評価
2011年 文部科学省 科学技術・学術審議会 産業連携・地域支援部会 臨時委員 (H23.3.1〜 H25.1.31)
九州経済産業局 アジアビジネス戦略研究会 委員(九州成長戦略アクションプラン3)(H23.4〜 )
経済産業省 研究人材流動化、産学連携等による大学改革促進等のあり方について 専門委員
2012年 文部科学省 大学発新産業創出拠点プロジェクト DBJキャピタル・ユニット 事業プロモーター
福岡次世代社会システム創出推進拠点 プロジェクトディレクター(PD)に就任
日本政策投資銀行 「競争力強化に関する研究会」 アドバイザー
2013年 文部科学省 科学技術・学術審議会 専門委員に再任(2期目)
2014年 産業革新機構(INCJ)・KKフォーラム(オープンイノベーションプラットホーム)幹事に再任
研究・技術計画学会 第29回年次学術大会 (於 10月18日 立命館大学 びわこ・くさつキャンパス)
学会賞受賞
「リニアモデルにとらわれないイノベーション創出スパイラルモデル」
2015年 九州IT&ITS利活用推進協議会(QPITS) 理事就任 (戦略・外交担当)
文部科学省 科学技術・学術審議会 地域科学技術イノベーション推進委員会 専門委員 (3期目)
経済産業省 NEDO オープンイノベーション協議会 第一回ワークショップ モデレータ
経済産業省 貿易促進局 技術協力課 アジア産業基盤強化業「内なる国際化」 研究会 委員
2016年 農林水産省 産学連携推進協議会 知の集積・セミナー ワークショップ ファシリテーター
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