「努力」という才能を賜る「世界平和」王


 

株式会社CORESCO

代表取締役

古森 剛

2015.6.11 900


古森剛

 

◆業種

 

経営コンサルティング

 

 

◆子供のころになりたかったものは?

 

小学生の頃は、考古学者。

 

土器や恐竜、歴史に興味を持ち、本や図鑑を見るのも好きだった。

 

その興味を引き出し、伸ばしてくれたのは母。

 

私が興味を持ったことを知ると、それにあった本や情報を提供してくれた。

 

母はとても愛情深い人で、叱られたことはあるが怒られた記憶は無い。

 

父は、自然と触れ合うことの素晴らしさを教えてくれた人。

 

そして、仕事面では色々と苦労の多かった人生。

 

家計が厳しい中で、父も母もそれぞれに一生懸命に働いていた。

 

特に母は責任感が人一倍強い人で、毎日2時間睡眠で働き家計を支えていた。

 

まさに命がけで育ててくれたのだ。

 

そんな中、未成年の私に出来ることは勉強だと思い、大学受験時には2時間睡眠で必死に勉強した。

 

志望校に合格し、在学中は空手道部の主将も務め、大手生命保険会社に就職した。

 

 

◆毎日欠かさずしていることはありますか?

 

畑仕事と剣道の素振り。

 

2009年の春から、年間70種類以上の野菜を育てている。

 

自宅近くに8畳程の家庭菜園を借り、富士山の麓にも500平米弱の土地を購入して畑にした。

 

2006年夏、働き過ぎで過労になり、倒れてしまった。

 

救急車で運ばれ、そのまま2週間の入院となった。

 

自分の人生について考えたところ、フッと湧いて出たのが土や木に触れたいという思いだった。

 

最初は、富士山の麓に土地を購入し、木を切り山荘をつくることから始めた。

 

土に触れる事で、自分の命を取り戻しているような感覚だった。

 

自然に対する感覚は、仕事面では苦労の多かった父からのプレゼントだ。

 

この感覚がなかったら、健康を取り戻せなかったかも知れない。感謝している。

 

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

1、母

 

命がけで育ててくれた母からは、「努力」という能力を授かった。

 

とても尊敬している。

 

 

2、新卒で入社して3年目に出会った上司

 

一人目の上司は、「考えるな、話は立って聞け、呼ばれたら走って来い」と、まるで体育会系のような人だった。

 

そして3年たち、二人目の上司は真逆な人で、「良く考えろ!」という。

 

その上司が、留学してMBAを取ったらどうかと提案してくれた。

 

良く考えて、どうせMBAをとるなら世界一の大学、ペンシルバニア大学ウォートンスクールで取りたいと思った。

 

厳しい社内の昇格試験を通らなければ、大学院の受験も出来ない。

 

人生2度目の2時間睡眠で勉強し、社内試験にもペンシルバニア大学ウォートンスクールにも合格出来た。

 

この上司に巡り合わなかったら今の自分はないと思う。

 

 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

「未練はあっても後悔のない人生」「人生日々決算」

 

世界中から精鋭が集まった、ペンシルバニア大学での交友関係はとても刺激になった。

 

そして、帰国1年後に、留学中の学友にあった時、モヤモヤしたものがふつふつと湧いてきた。

 

自分の人生を活き活きと生きているように見えた。

 

そして、「あー自分の人生を自分で創っていいんだ。こういうふうに生きていいんだ。」と、まるで何かから覚醒したかのように思った。

 

そこから転職を考え始めた。

 

いつ終わるかわからない人生、人生を終える瞬間、幸せだと思えるか?

 

幸せだったと思えるよう、悔いのない人生を送りたい。

 

それを毎日、決算する。

 

未練とは、やりたいことがたくさんある状態、後悔とは、やろうと決めたことをやらなかった状態。

 

ここで思い立たなかったら後悔すると思い、その瞬間会社に「やめることにしました。」と申し出た。

 

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

1、最初の会社を辞めた事

 

1999年秋、新卒で入社した会社を辞めた。

 

社宅を出なければならなかったので、家を借りるにも定職がなければ借りられない。

 

この時は、文句一つ言わず妻が働きながら支えてくれた。

 

そして、2000年春、縁あってマッキンゼーに入社。

 

コンサルタントは黒子に徹することと知った。

 

1年後、マッキンゼーのアメリカ、ニュージャジー州で仕事をすることに手を挙げた。

 

ニュージャージー州は、世界規模の医薬品会社の本社が多数集まっているところ。

 

しかし、当時のアメリカのコンサルティング業界は不況。全然仕事がもらえない。

 

そこでやっと巡り合えた案件は、焦げ付き寸前のプロジェクトだった。

 

しかも、前任の担当はアメリカ人の医師免許をもっている人だった。

 

その後任が外国人で、しかもメディカルドクターの知識も資格もない私では、差がありすぎた。

 

負けるわけにはいかない。

 

医学事典を片手に医学のことも勉強しながら何とかプロジェクトに貢献しようと努力した。

 

結果的には、プロジェクトの立て直しに一役買うことが出来た。

 

3度目の2時間睡眠モデルだ。

 

私は、自分の努力で何とかなるものには強い。

 

仕事は上向きになってきたが、その年の9月11日にアメリカ同時多発テロが起きた。

 

しかもその時、私は日本に出張していて、アメリカの自宅には妻と乳幼児の息子の二人だけでいた。

 

こんな不安定な情勢の中で子育ては出来ないと判断し、その年の晩秋に予定より早く帰国した。

 

 

2、家を買った事

 

2004年冬に家を買った。

 

一生家は買わないと思っていたが、住んでいるマンションの2軒先くらいの所に新築の家が建った。

 

ふと、「この家を買おう!」と閃いた。

 

物理的に考えたら、子供が成長したら一部屋足らなくなる事はわかっていたが、妻の同意のもと買う事に決め、直ぐに引っ越した。

 

そして新居の庭でコーヒーを飲んでいた時、ふと、人生を変えたくなった。

 

人生をまたゼロクリアしたくなった。

 

先の予定も立てないまま、マッキンゼーは辞める事に決めた。

 

その3ヶ月後、2005年夏、出会いがあってマーサージャパンに入社する事になった。

 

コンサルの仕事がしたくて仕事を探した訳ではないが、マッキンゼーもマーサーも共にコンサルタントの仕事、何故か縁があるようだ。

 

M&Aの仕事が主だったが、やると決めたらとことんやる性格。

 

休みなしで働き倒れた。

 

過労が重なり、風邪をこじらせた上、ぎっくり腰になった。2週間入院し、復帰までには全部で3週間かかった。

 

その年の冬に社長から、次期社長をやってほしいと言われ、2007年3月から社長となった。

 

2008年に起きたリーマンショック前に、既に業界は下り坂基調になっていた。

 

そんな中で、組織のあり方や人の動き方の改革をしようともがき、毎日が戦争のような日々を過ごした。

 

ニューヨークの本社や地域本社からは常時厳しい質問が飛び、多くの人が疲弊していった。様々なリソースが削られた。

 

そういう空気の中で、頼りにしていた人々が次々に会社を去って行った。

 

解決しなければならない仕事は山のようにあるのに、人は減って行く。

 

それでも歯を食いしばって新しい組織運営や顧客へのアプローチに取り組んでいたら、やがて助けてくれる人が現れた。

 

経営者として、どん底の心境から浮上していく兆しを感じた。

 

ようやく組織が安定してきて、パフォーマンスもあがってきた頃に、今度は2011年春に震災が起きた。

 

直ぐに飛んで行きたかったが中々行けず、当面は物資の支援を続けた。

 

そして、会社の経営が安定した半年後くらいに、岩手県の陸前高田市を訪れた。

 

半年経っても、まだまだ無残な景色に驚いた。

 

しかし、瓦礫を撤去して都市整備をするだけではなく、もっとグローバルに海外との交流も図れるような地域にしなければ!と思った。

 

そこで地元の方に、英語教室を開いてはどうかと提案すると「いいんでねぇが。」と賛意を得たので、10年間、毎月手弁当で通う事にした。

 

「やると決めたらとことんやる!」

 

今では、一般社団法人はなそう基金を立ち上げて、多くの仲間と活動を続けている。

 

そして去年、マーサーの社長業を引き継いで8年目で社長を交代。秋からは株式会社CORESCOを本格稼働させて独立した。

 

以来、東北向けを中心とした非営利活動3割、CORESCOを核とした営利活動7割のイメージで人生の日々を送っている。

 

 

◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

子供時代

 

暖かい家庭だったが、経済的には厳しい環境にあった。

 

中学2年生の頃、長男として家の実情を聞かされた。目の前が真っ暗になるほど衝撃を受けた。

 

自分で選択した訳ではない理不尽な環境というのは、努力ではどうにもならないほど厳しいこともある。

 

逆にそのお陰で、どんなに過酷な状況でも「努力」で打開できる可能性を見出せるものなら有難いと思えるようになった。

 

また、感謝の幅が広いということは、幸せ感、喜びの幅も広いということ。

 

それも子供時代に厳しい経済状況の中で苦労する親の姿や、子供なりに頑張ろうとした自分の思い出があるからこそと、今は感謝している。

 

 

◆夢は?

 

世界平和!

 

「あまり世界平和を叫ぶと怪しいからやめた方がいい。」という助言も頂くが、本気で思っている。

 

国と国では、なかなか和解できなくても、個人と個人では、どの国の人とも仲良くなれる。

 

世界中の個々人がクロスボーダーで交友の輪を広げ、それがある種の絶対数を超えた時、今よりも平和な世界が出来るのではないかと考えている。

 

人間の性質上、完全なる平和などはありえない。争いは残る。しかし、争いを減らすことはできるだろう。

 

そこで、去年の夏「世界旅館」を思いついた。

 

世界遺産にもなった富士山の麓で、人種、国籍、宗教等を超えた個人が「世界旅館」に集まって「囲炉裏端トーク」を含め、色々なイベントをする。

 

自分がこれまで培ってきた各種知識、ファシリテーション力や英語力などもフル活用して、世界から来て出会った人々をつなぐ。

 

まずは古民家の貸切イベントの形式で始めた。最初は赤字になってしまったが、やり方次第!

 

世界平和に向けて、「世界旅館」を成功させる。

 

株式会社CORESCO

http://www.coresco.net/

 

一般社団法人はなそう基金

http://www.lets-talk.or.jp/

 




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