株式会社こころみ
代表取締役
神山晃男氏
2015.5.14 10:00
◆業種
コミュケーションサービス
◆子供のころになりたかったものは?
プロ棋士
将棋は、父に仕込まれた。
小学校の2年生頃から始め、対局相手は兄や学校の友達。
学校内でも流行り始め、先生とも対局した。
しかし、中学の頃になると、「国連事務総長になりたい」といっていた事を覚えている。
その当時は、世界で一番偉いと思っていたからだろう。
私は4人兄弟の末っ子で、10歳上の兄、8歳上の姉、6歳上の兄に比較的甘やかされて育った。
両親は優しく理想の親だと思っている。
高校からは慶応の藤沢校に通うため、それまで育った長野県の自宅を離れて一人暮らしをすることになった。
ほんの最初は「やったー慶應生だぁー」なんて喜んでいたが、それもつかの間。
明るく賑やかな家庭からいきなり一人になった寂しさと都会の学校の洗礼は想像以上で、非常に暗い学生生活になってしまった。
学校も休みがちで、両親が呼び出される事もあったが、父も母も小言一つ言わずに見守ってくれた。
相当に心配だったと思う。
自分でもこのままではいけないと思う中、雑誌で見つけた社会人劇団に飛び込んだ。
中学の後半から高校生の間は、哲学的で「生きるとはなんぞや」なんて事を考えていて、頭でっかち。
今会ったら、一番ぶん殴りたくなるようなタイプだったと思う。
答えが見つかった訳ではないが、劇団を通して心のコミュニケーションの大切さを知った。
劇団員の方々と関わることで、自分を見出す事も出来、付属の大学にも進学できた。
父も二人の兄も医者で、姉は歯科医になった。
しかし、私は中学3年生の時に医者にはならないと両親に宣言していたので、法学部政治学科に進んだ。
卒業後は、「世の中の仕組みを観たい!知りたい!」と思いコンサルティング会社に就職。
コンサルティング会社なら、より多くの業種に接し、内部事情まで知る事が出来ると思ったからだ。
色々な事に興味はあったが、若くして志があるタイプではなかった。
2年した頃、投資ファンドの会社に転職した。
投資ファンドが未上場会社の大株主になって、経営に参加しながら会社の価値を上げて売却する、プライベート・エクイティ・ファンドと呼ばれる職種だ。
商品である会社の価値を上げなければ、利益は出ない。
大変な仕事だったがやりがいは大きかった。
この会社にいる時、多くの経営者に出会った。
会社の規模に関わらず、会社の最高責任者である社長は、何とも言えない重みと魅力が有り「凄い」と思った。
自分にはキャリアもあるので理屈で負ける事はないが、この何とも言えない「勝てない感じ」は何なのか?
素晴らしい経営者たちと生で接するうち、自分も経営者になって、その何とも言えない存在感は何なのかを知りたくなった。
それまで漠然と「経営者になりたい」と思ってはいたが、その時々が楽しければよく人生設計というものを考えた事がない。
それと、元々ある程度の規模の会社に投資をしていたので、1を10にすることがあっても、0からスタートさせた事はなく、自分が創業者になって0からスタートさせてみたいと思った。
投資ファンドの会社で10年たった頃、両親がひとりになった時の事を考えるようになった。
兄も姉も関東圏内に住んでいて、実家には両親だけで住んでいる。
いざとなった時のことを考えて、色々調べたが、遠隔地の高齢者をサポートするサービスが見当たらない。
あっても湯沸かしポットで生きている事を知らせるような機械的なものだけだった。
人が確認してくれるものも見つけたが、毎回担当者は違うし、自分が使いたいものとはいえない。
「高齢者の方は何を求めているんだろう?」そう思って道で、高齢者の方に声をかけてみた。
最初は怒られるのではないかとヒヤヒヤしたが、とても親切に対応してくれた。
何人にもリサーチしたが、皆同じように嬉しそうに話してくれる。
多くの方と話しをしているうちにニーズが有る事がわかった。
我が家の場合は2番目の兄が、実家に戻って開業医を継ぐ事になったが、孤独な高齢者の方が増えているのが現状だ。
高校生の時、自分が味わった孤独を、多くの高齢者の方も味わっている。
孤独を無くす仕事として、今の「会話型見守りサービス」を考え起業した。
しかし、ただ話し相手になれば良いと言うものでもない。
毎回担当者は同じ人で、聞き上手の専門会社として高齢者の人が話したい事を聞くようにしている。
話す内容は、今思うと、父が診療所で患者さんとしていたような話だ。
父の背中をみて育ったお陰かも知れない。
話しをする事で、元気になったという結果も出ている。
他人だからこそ話せる事もあるし、自分の話を興味持って聞いてくれる人がいると、自分が社会でまだまだ必要とされていると思える。
自分に自信がつくと人は積極的になるものだ。
ある人は、「英会話教室に通い始めました。」とか、「花屋の店員さんを誘って焼肉に行ったよ。」とおっしゃっていた。
昔話をしたり、会話が増える事で、明るく行動的になられる方が多いようだ。
社名のこころみは、「試みる」と「心みる」を合わせたもの。
最近、高齢者の方個人が主役の自分史作成サービス「親の雑誌」も始めた。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
心身共にシャキッとさせるため、毎朝、コーヒーを飲みシャワーを浴びることを日課としている。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
小沼朝生氏
社会人演劇劇団でお世話になった方。
高校生の時、この方がいなかったら立ち直っていたかどうか?
今でも色々な面でお世話になっている。
演劇の第一人者として、弊社のコミュニケーションノウハウにも関与いただき、トレーニング等の作成にもお力添えいただいている。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「神は細部に宿る」
バルセロナチェアという有名な椅子をつくった建築家「ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ」の言葉。
本質や価値は細かいところへのこだわりにこそあると解釈している。
例えば、聞き上手は、「褒めない、励まさない」という鉄則がある。
うっかり「偉いですね」等と言ってしまうと上から目線になる。
一度言ってしまうと取り消す事は難しい。
人と会話する今の仕事は、細かいところに配慮が必要なので、指針にしている。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
1、高校入学時
孤独な時に、コミュニケーションの温かさを味わったからこそ今が有る。
また、孤独だったからこそ、自分をみつめることが出来た。
2、投資ファンドに入社したこと
厳しい上司に恵まれて鍛えられた。
また、多くの経営者の方に出会わなかったら起業していなかったかも知れない。
また、この時に培った経営ノウハウや精神は今に生きる。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
1、高校入学時
あの孤独程、辛かったものはない。
まさか自分がそうなるとは思っていなかった。
社会人劇団の仲間に助けられた。
演者は、「相手役の感情を受け入れる」ことが出来ないと良い表現が出来ない。
相手が言わんとしている事がわからなければ、会話は噛み合わない。
相手が言いたい事の感情を受け入れる事が大事と教わった。
演技の本髄はコミュニケーションにあり、それが今にも役立っている。
2、投資ファンド時代
入社して2年経った頃、厳しくて相当苦しんだ。
そんな時、代表から「水面にいと苦しい、水中に潜ってしまえば楽になる。」と教わった。
その時はこの言葉に救われた。後になって冷静に考えると鬼だなとも思うが。
辛い辛いと思うから辛いのであって、やるべき事に向かってやれば辛さも忘れる。
相手の懐に入って、目の前にあるやるべき事だけをやるだけ。
辛いというのは自分に向いている感情だ。
やりたいのに出来ていない自分がいると思うから辛いのであり、辛いと考えるより、出来ていない事を改善するよう行動すれば良い。
例えば、怒鳴られた、嫌われたという事態が起きたとしたら「さて、怒鳴られた、嫌われた相手を味方につけるにはどうするべきか。」と考える。
「嫌われた辛い。」と苦しむより、好かれるための合理的な打ち手を考えようという事だ。
簡単な事なのに感情がからまると前に進めない。
私も最初から出来た訳ではない。
辛い経験を重ねて、シンプルに考えられるようになった。
◆夢は?
自分史を広める!
お陰さまで、「親の雑誌」の話題性で色々なメディアが取り上げてくれている。
色々な関連企業とも組みながら発展したい。
株式会社こころみ
会話型見守りサービス「つながりプラス」
http://tsunagariplus.cocolomi.net/
親のための自分史作成サービス「親の雑誌」
http://tsunagariplus.cocolomi.net/oyanozasshi/
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