一般社団法人 自然治癒力学校
理事長
おのころ心平氏
2014.4.13 10:30
◆業種
パーソナル医療コーディネーター
◆子供のころになりたかったものは?
プロサッカー選手
まだJリーグもない、小学4年生からサッカーを始めた。
アニメ「キャプテン翼」世代で、大変影響をうけた。
所属していたチームではレギュラーになり、大阪府で1、2位を争う程だった。
ところが5年生の時、体調を崩した。
風邪の症状が長く続き、中々治らないので病院に行くと、急性肝炎と診断されその場で入院となった。
GTPやGOPと呼ばれる肝臓の数値が、通常40くらいのところ、1000を超えていた。
劇症肝炎を起こせば命に関わる。
絶対安静を余儀なくされ、その日から、食事することも、歩く事も、友達に会う事も出来なくなった。
病院の先生も、父も母も「大丈夫」と言葉をかけてくれるが、子供ながらに大人たちの表情から尋常ではない様子が見て取れた。
いつ治るかわからない状態が半年も続いた。
隔離状態が長く続くと、筋肉の衰えと共に精神も衰弱してくる。
不安でたまらなくなったある日、点滴もなにも振り払ってベットから起き上がり、「どうせ僕は死んじゃうんでしょ!」と叫んだ。
すると母が、「絶対に死なせない!」ときつく抱きしめてくれた。
そんなある日、サッカーの「釜本 邦茂」選手から色紙が届いた。
釜本選手と言えば、当時、日本を代表するサッカー選手だ。
そんな凄い選手がなぜ?と思いながら色紙を見ると、自分の名前に宛てて「がんばれ」という言葉がサインと共に書いてある。
釜本選手は、ヤンマーの所属選手だったので、ヤンボーマーボーのシールも貼ってあった。
嬉しくて裏をみると、「僕も13年前、同じ病気になった。この病気は必ず治る病気だから早く治してグランドに立ってね。」と書いてあった。
「この病気は必ず治る病気」
この手紙をみた瞬間、「治っていいんだ!」とスイッチが入った。
人が病気になるのは、無意識だが病気になりたくてなっていたり、心の奥底で自分を罰しているケースが多い。
特に、日本人に自己免疫力低下の病気が多い原因のひとつとして、戦争経験による罪悪感が遺伝子に植えつけられたからと考えている。
そういう場合、どこかから許可がおりないことには治らない。
自分は釜本選手の言葉によって、「治っていい」と許可がおりた。
言葉で人を治すことが出来ることを体感した。
この日から、本当にみるみる回復して、1年後には再びレギュラーとして大阪府の大会で優勝を果たした。
釜本選手から色紙が届いたのは、前述の母とのやりとりを聞いていた父が、釜本選手に「うちの息子が病気で、なんとか励ましたい。」といった内容の手紙を出してくれたお陰だった。
自分が、こんなにも強い信念をもってここまでやって来られたのも、両親の愛情のお陰だと思っている。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
ブログを書いている。
病気を否定しない、ボディサイコロジスト・おのころ心平の
【心とからだの交差点】
http://ameblo.jp/onocoroshinpei/
自分自身の内外から発せられる小さなサイン
それらを見逃さずケアしてあげれば、毎日がもっと豊かに。
病とその人の背景に潜むココロとカラダの繋がりを、西洋・東洋医学・科学・物理など様々な角度より検証し病気の“本当の原因”を探る。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
帯津良一先生
ホリスティック医学の第一人者。
(ホリスティク医学とは、人間の生を「いのちの営み」として、ありのまま全体を見つめ、限界や欠如も含めて尊重する姿勢がホリスティックであり、ホリスティック医学をひと言でいうならば、人間をまるごと全体的にみる医学〜ホリスティック医学協会より)
先生とお会いしたのは15年程前。
そして今から10年前の2004年、帯津良一先生指導のもと、17名のホリスティックドクターとともに「自然治癒学プロジェクト」を立ち上げた。
現在78歳の先生は、物腰もやわらかくユーモアのセンスに溢れた方で、医師として、文化人として、人として、尊敬してやまない人物だ。
自然治癒力学校のセミナーにも何度も登場していただいている。
2、故 林秀彦氏
NHKの脚本家であったが、低迷したテレビ文化に嫌気がさしオーストラリアに移住。
しかし、日本から離れてみて日本の良さを改めて知り、13年後に帰国した。
日本を捨てて、日本の良さを知った人。
オーストラリアにもよく呼んでくれ、可愛がって下さった方。
このお二方に出会わなかったら、今の自分はなかったのではないかと思う。
また、医療関係者等、ここではお名前を出しきれない程多くの方に、多大な影響を受けた。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「たとえ明日世界が滅びようとも、私は今日もリンゴの苗木を植えるだろう。」
マルティン・ルター(宗教改革の創始者)の言葉
27歳で独立し、行き詰った28、29歳の頃、カウンセラーをやめようと思ったことがある。
日頃メンターと慕っていた今は亡き、ある大手企業の系列会社社長にやめることを話した。
すると、ひとしきり話を聞いてくれた帰り際、下記のメモをくれた。
Wenn morgen die Welt unterginge, w・rde ich heute noch ein Apfelb・umchen pflanzen.
自宅に帰って調べてみるとドイツ語で、和訳すると「たとえ明日世界が滅びようとも、私は今日もリンゴの苗木を植えるだろう。」だった。
折角自分のやりたい事(カウンセラー=リンゴの苗木を植える)が見つかったのだから、それでいいじゃないか。
自分の信じた道は、理屈じゃない。
明日、地球が滅ぶとわかっていても、日常として続けていられるなら幸せじゃないか。
「諦めなければ失敗はない。」と思った。
ルターの言葉というよりも、メンターの遺訓として、その後、何度もこの言葉には助けられた。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
1、小学校5年生で急性肝炎になった時
2、大学卒業時、22歳で自分の道を選んだ時
高校では期待の新人として、サッカー部に一年生からレギユラー入りを果たしたが、プロは無理だろうと自分で思った。
勉強も出来たが、進学校だったので上を見たらキリがない。
高校2年生になった頃、勉強もサッカーも中途半端な自分に思えて、目的を見失ってしまった。
ハードロックバンドを結成し、家出をして住み込みで働いたりもしたが、2週間ほどで見つかり連れ戻された。
3年生になって、何か1番になりたい!と思ったが目標が見つからない。
目的を見失ったまま、皆が行くからという程度で大学へ進学した。
大学のサッカー部では主将を務め、自分でもサッカークラブを結成し、社会人リーグで優勝もした。
自分探しを兼ねて色々なバイトもしてみた。
八百屋の取引、ショットバー、人を手配して仕事を紹介する、今の人材派遣のような仕事も自分でつくりだした。
それでも、やりたいことが見つからない。
就職活動は氷河期だったので、皆と同じことをやっていたら勝てないと思い独自に動いた。
就職したいと思った大手商社リクルート担当の動向を調べ、ランチの時さりげなく隣に座り「御社に就職したいのですが、」と切り出し企画書をみせた。
しっかり内定をもらい、立派な社会人になるべく政治経済の勉強を兼ねて3ヶ月で100冊の本を読みあさった。
ところが経済評論家は、同じ著者でも本によって全然違うことを言っている。
なんかおかしくないか?と思い、実業家であり思想家でもある中村天風などの本を読むようになった。
そこで、目に見えないけど壊れないもの、心と体の繋がりを書いた本に出会う。
「これだ!」とスイッチが入った。
その本の著者である東洋医学の先生に弟子入りを決意。
早速、手紙を書いて弟子入りを志願すると、内定をもらった会社、大学、両親の3者にきちんと了解してもらえるなら、という条件で弟子入りを認めてもらった。
大手商社の内定を取り消して、東洋医学の修行をするといったら、誰もが頭がおかしくなったと思うだろう。
会社には8時間かけて事情を説明し、担当部長には土下座して謝った。
大学は、自分で開拓した就職先だったし教授の紹介でもなかったが快諾はないまま卒業を迎えた。
両親には大反対されたが、何とか説得して許してもらった。
この時、自分のやりたいことが見つかると周りに迷惑を掛けてしまうことがわかった。
自分は若い時に見つけることが出来たから突っ走れたが、年を重ねしがらみが多くなれば一歩も踏み出せない人もいるだろう。
2年間修業した後、カウンセラーとして独立したがクライアントが集まらない。
先生のところでは、かなりの人気カウンセラーだったのに。
独立してみて、あの人気は先生の後ろ盾があってこそ、と気付かされた。
収入が途絶えてもカウンセリングの仕事をやめようとは思わなかったが、ノンポリ(政治問題に対して無関心)でこの世界に飛び込んでしまった自分には哲学がないことに気付き、社会勉強をすることにした。
幸い時間はたっぷりある。
新興宗教がどんなものか?右翼と左翼の違いは?
そんなことも分からなかったので、ありとあらゆる新興宗教の無料セミナーや右翼や社会党の会合にもどんどん参加した。
学ぶうち、日本人は自分のルーツに対して自信がなさすぎると思った。
日本人としての誇りを持ち、社会の役に立つことは病気を治す一つの方法ではないか。
人は自分のためにはがんばれなくても、誰かのためにと思うとあらぬ力を発揮するものだ。
また、アイデンティティをなくし浮遊した魂が自己免疫疾患を起こし、アトピーやリウマチになるのではないかと考えた。
自己免疫疾患とは、本来は自分を守るために外敵を攻撃するはずの免疫細胞が狂ってしまい、自分の正常な細胞を攻撃してしまう病気だ。
自分がはっきりしないから、自分が誰だかわからなくなった結果、自らを攻撃してしまう。
更に、自分に嘘をついていても病気になる。
自分に嘘をつくと、抑圧のエネルギーが働き、人を病気にさせるのだ。
本来なら外に向けて行動しないといけないエネルギーを、内側に向けたために病気になる。
例えば、1cmの癌を作り上げるには、10億個の癌細胞が必要になる。
癌になるには、それ程のエネルギーが必要であり、そのエネルギーを内側に向けられるのだから、病気になるのも才能といえる。
それらのエネルギーをカウンセリング(言葉)で、方向性を変えて行く。
天職と思える、現在の仕事に出会えたことは最高の幸せだ。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
何かに行き詰った時は、「人に会え!誰かが答えを持っている。」という持論がある。
クライアントの少年から「今から自殺する」という電話が入った時も、「いいけど、今から言う10人の講演を全部聞いてからにしてくれ。」と「てんつくまん」等の名前を挙げて約束させる。
この人たちの話を聞いてもなお自殺したいやつなんていない。
また、自分が小宇宙で、自己表現は吐く息、大気に息を吐き出すことで宇宙に情報提供し、大気を吸うことで宇宙の情報を得る事が出来るのではないかと考えた。
大気中には、全ての人の情報が詰まっていて、呼吸をすることでその情報を共有する。
息をしているだけで、誰かに情報提供していることになるなら、生まれて来ただけで誰かの役に立っていると言う事になる。
誰かの役に立っていると思える事程、嬉しい事はない。
◆夢は?
統合医療の病院をつくりたい!
医師免許も無いのに!?と思われるかもしれないが、依存的医療ではなく、患者さんが自分の病気の事を、自ら考え向き合えるような病院をつくりたい。
依存的医療は、国家が奉仕すべきという考えの元にある。
生活保護や社会保険等に依存し続けることなく、自分のずさんな生活態度から病気になったということに向き合えば、国家予算の約30%を占める社会保障費を減らすことが出来る。
現状のままでは、国家として国民の税金や国債の運用失敗ということになってしまう。
病気を患っているから病気なのではなく、病気でも健康な人より健康的な人もいる。
何のために生きるか?自分と向き合い、魂を健康にして、自分の命を輝かす!
患者学や統合医療等、日本独特の医療文化をつくり世界に発信したい。
一般社団法人 自然治癒力学校
http://naturalhealing-school.org/