世界に誇る回転寿司を愛で構築した一級建築士王


金沢まいもん寿司

株式会社エムアンドケイ

代表取締役

 

一般社団法人 日本回転寿司協会

理事長

 

一級建築士

 

木下孝治氏

 

2014.6.5 1100


木下眞知子&孝治

 

 

 

 





 

◆業種

 

飲食業、飲食店コンサルティング・商品開発

 

 

◆子供のころになりたかったものは?

木下孝治

 

父が建築業を営んでいたこともあり、後を継ぐ気はなかったのですが結局建築家を選びました。

 

愛情たっぷりの両親の元、4人兄弟の末っ子で比較的裕福に育ちましたが、父は、たとえ自分で稼いできたお金であっても無駄使いをすると厳しく叱りました。

 

父は、幼くして父を亡くした苦労人で、自分は大学に行かずして建築業界で会社を興し、父の弟は父の援助で東京帝大を卒業しました。

 

人と仲良くとか、家族を大事にするという基本的な事は両親の背中を見て教わったように思います。

 

幼少の頃、魚の骨が喉に刺さり、相当痛い思いをしたらしく、それ以来「魚=苦しい思いをする食べ物」と、魚が食べられなくなってしまいました。

 

このままじゃいけないという思いが何処かにあり、20歳の頃、山岳スキー部のキャプテンになりました。

 

山の上で生きるか死ぬかという時に、好き嫌い等言っていられません。

 

山小屋の恩師が、「甘えているから好き嫌いがあるんだ。」とおっしゃって、自分の甘えだと自覚し意識を変えると、魚がとても美味しいとわかりました。

 

しかし、その時は、まさか自分が寿司屋になるとは思ってもおらず、建築家の道に進み、27歳で一級建築士として独立しました。

 

建築家としては順調でしたが、人の好みに合わせた住宅や建築物ばかりでなく、自分の好みで自由にデザインしたものを手掛けたいと思っていました。

 

42歳の時、異業種交流会(石川県ニュービジネス創造化協会)で知り合った回転寿司の機械を製造販売している社長に、「回転寿司屋を素人がやったら面白いぞ!」と言われ、デザインが好きな私は、経営者として店舗デザインやプロデュースするのは確かに面白そうだと参入することにしました。

 

創業するに当たり、まずは鮮魚市場を開き、魚屋が展開している寿司屋を演出するという戦略を立てました。

 

場所は、「海に面していない所の方が魚は売れるだろう。」と、車で150分圏内の岐阜県羽島市に決め、三等立地ではあったが国道沿いにプレハブ小屋を建て、朝5時から土日だけ家族で協力して売りに行きました。

 

毎週の事だけに、家族には大変な思いをさせたと思います。

 

お陰で、売り上げは一日で300万円にもなり、鮮魚市場の隣に回転寿司の店を出すと、思った通り「新鮮な魚屋さんの回転寿司だから美味しいに違いない。」と評判になり繁盛しました。

 

当時の回転寿司といえば、コンビニ風で洋物イメージの店ばかりです。

 

お客様には非日常を味わって頂きたいと考え、イメージは「千と千尋の神隠し」の舞台で、和風の赤・黒・金を基調とし、「雅」な金沢らしいデザインで統一、壁の墨絵も有名な画家に描いてもらう等、遊び心も取り入れた高級感ある店を建てました。

 

更に、今では珍しいことではありませんが、当時はグルメ回転寿司等一切なく、回転寿司は一皿100円が主流でしたが、輪島塗風のお皿を使用し、のどぐろ等の高級鮮魚を使用した一皿500円や1000円もする商品を斬新な試みとして先駆的に提供しました。

 

ただこれは、斬新さだけをねらったものはなく、適正なものに適正な価格をのせると1000円になったということで、回転寿司でも、良いのもが食べたいお客様もたくさんいますので、「お客様に出すものは、自分が食べたいもの、家族に食べさせても良いもの」という事を常に基準として経営しています。

 

国産の鮮魚に拘り、北陸、築地を中心に全国の漁場から直接仕入れ、職人の技で提供しています。

 

薬品や成長ホルモン、抗生物質漬けになった魚や中国産のうなぎが安いからと、自分の家族に絶対食べさせたくないものを提供しないよう徹底しています。

 

「自分の魂が喜ぶことをしていかなければおかしいと思う。」これは創業時から変わらないもので、これからも変わりません。

 

私は職人でないし寿司は握れないが、作り手でない分、別の角度から物事を考え、発想出来る事は強みです。

 

2011年、59歳の時には念願の、一般社団法人 日本回転寿司協会を立ち上げることが出来ました。

 

この業界に入ってからずっと創りたいと思っていたものです。

 

それまで、回転寿司屋が厨房の中を他社に見せ、業務や経営について相談、協力し合う等ということはあり得ないことでした。

 

しかし、同業者の悩みには共通しているものが多く、各自が高いお金を出してコンサルタントを雇い入れるより、皆で机を並べて相談し合う方が遥かに良い結果に結びつき、リスクも軽減できます。

 

業界自体を底上げするには、拘りなく皆が協力し合うことが最良と考え、声を掛け続け、日本回転寿司協会が誕生しました。

 

お互いが競い合う事でレベルアップにも繋がると思い、マイスター制度も取り入れ、全国のMVPを決定する大会を計画し、今年、平成26年6月4日、新宿のホテルで第一回大会を開催することが出来ました。

 

テレビや雑誌の取材も入り、大勢の人で賑わい大成功でした。

 

 

◆毎日欠かさずしていることはありますか?

 

瞑想

 

朝起きて1時間くらい、自分なりの瞑想ですが、30代の頃から続けています。

 

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

安岡正篤(やすおかまさひろ)氏

 

本を読んで感銘を受けました。

 

陽明学者であり思想家であった氏は、昭和の歴代総理大臣や、財閥グループを始めとする財界人の指南役として知られた人物です。

 

氏の残した、多くの言葉に影響を受けました。

 


 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

1、人間万事塞翁ヶ馬(にんげんばんじさいおうがうま)

 

中国のことわざ

 

昔、中国の老人が飼っていた馬が逃げたが、逃げた馬が名馬を連れて帰ってきました。

 

ところがその名馬に息子が乗って落馬、足の骨を折る大怪我をしました。

 

しばらくすると戦争がはじまり、村の青年は戦にかり出されたが、老人の息子は怪我をしていたので助かりました。

 

何が災いで、何が幸いするかわかりません。

 

受け入れることが大事と考えます。

 

2、縁尋機妙(えんじんきみょう)

 

安岡正篤氏の言葉

 

良い縁を繋いでいくと更に良い縁に恵まれます。

 

3、多逢聖因(たほうしょういん)

 

安岡正篤氏の言葉

 

多くの人に会い、人との出会いを大切に、本物の人に会いたいと思います。

 

幸い素晴らしい人々に出会える事が多く、有難い事と思っています。

 

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

いっぱいあり、ありすぎて一つ決めることは出来ません。

 

しかも、これからだってあるでしょう。

 

建築士も寿司屋も人生の過程です。

 

本当は、まちづくりをしたいと思っています。

 

 

◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

経営をしていれば、問題障害はしょっちゅう起きますが、高い志には、高い試練がくるのは当たり前と思って、「なんとかなるわ!」で乗り切ります。

 

以前、海外に出店しようとした時等、厳しい挫折もありましたが、今もチャレンジ精神を熱く持っています。

 

志しを高く持って行動していると、助けてくれる人も現れます。

 

「助ける」といっても甘えではなく、協力したいという思いや行動は、人との関わりや愛から生まれるものと思っています。

 

 

◆夢は?

 

1、外食産業としてどこまでやれるか?

 

中小企業として海外展開し、5年後には事業を4、5倍の規模にしたいと考えています。

 

現在、海外の日本食屋は殆どが現地人経営で、勘違いした和風つくりの店構えや、サテン時の浴衣のようなものを、日本の伝統的な着物と称されるのは悲劇です。

 

それらを改善しつつ拡大します。

 

 

2、日本の水産事業を元気づける!

 

石川県の日本海沿いに、にぎり寿司の冷凍工場を建設し、海外に輸出します。

 

日本の本格的なにぎり寿司をそのまま冷凍し、それを美味しく解凍することで、海外でも何処でも食べられます。

 

只今マーケティング調査中ですが、斬新な工場で、ウォータフロントのような建物を構築し、ユニフォームもオシャレなものにして、若者が就労したくなるような水産事業を農林水産省等も巻き込んで推し進めています。

 

皆がワクワクする仕事がしたい!と考えます。

 

 

3、100年200年続く、世界遺産になりうるような「まちづくり」

 

「回転寿司協会」も「まち」も発想は「愛」です。

 

愛ある、皆が住みたいと思うようなまちづくりに成功したら、そのシステムを100ヶ所200ヶ所と増やし、未来の子孫に大きな夢を繋ぐため、自分の所だけ良ければいいという発想ではなく、システムをオープンにして良いものを共有します。

 

まちをつくりたい!と一人が発想するとシンクロニシティが起こり、お金を集める人、行政を動かす人等、其々役割の人が集まり、集まって話しているうちに、更に新たな発想が生まれます。

 

これが面白いのです。

 

 

・株式会社エムアンドケイ 代表取締役

http://www.m-kgroup.co.jp/

 

・金沢まいもん寿司

http://www.maimon-susi.com/

 

・株式会社エグザクトソリューションズ 代表取締役

http://www.exact-solutions.jp/

 

・一般社団法人 日本回転寿司協会 理事長

http://www.kaiten-sushi.or.jp/

 

NPOソーシャルデザイン21 理事長

 

・一般社団法人 石川県ニュービジネス創造化協会 副理事長

http://www.newsoukyou.com/

 

NPO繁盛店への道S1グランプリ 北信越地区・金沢支部

http://hanjyoten.org/member/#area5

 

・一般社団法人 フードアナリスト協会 評議員

http://www.foodanalyst.jp/councilman.html

 

・石川竹田研究会 幹事長

http://www.takedaken.org/area/ishikawa/

 


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コメント: 2
  • #1

    川野作織 (水曜日, 25 7月 2018 10:43)

    素晴らしい人生観をお持ちで共感するところがたくさんあります。
    是非New Yorkに進出していただき、新風を巻き起こしていただきたいと思います。

  • #2

    渡部敦子 (土曜日, 03 12月 2022 03:39)

    カンブリア宮殿で、拝見し、街づくりに努めたい、と仰ったので、興味が湧き、検索して、こちらの記事に出会いました。
    ますます、感動致しました。
    ぜひぜひ、その熱い想いをもっとたくさんの方々にも知って貰いたいと思いました。