グローバル・リンク株式会社
代表取締役
冨樫 浩司氏
2013.4.12 10:00
◆業種
再生エネルギーシステム開発
◆子供のころになりたかったものは?
パイロット
乗り物全般が大好きで、特に飛行機や新幹線に興味があった。
末っ子の私は、横浜税関の職員だった父に付いて、よく職場に遊びに行った。
その際、いつも船に乗せてくれた。
このことが、乗り物好きになるきっかけになったのかも知れない。
また、小学生の頃は、マイティキットという科学工作セットが大好きだった。
ものづくりが大好きで、ラジオを自分で作ったこともある。
子供の頃から、空にサンサンと輝く太陽を見ては、これで何かつくれないかなと考えていた。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
現場を巡回している。
茨城、福島、千葉に大型の太陽光発電所があるので、そこを巡回、管理している。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
1、 小学校2年生の担任の先生
工作の先生で、ラジオ作りなど、色々と教えてもらった。
ものづくりが好きになったのは、この先生の影響が大きい。
2、廣告社の「湯澤 斉」社長、マルダイ「大曽根」社長
起業のきっかけを下さった方
この方がいなかったら、今でも九州の宮崎にいたかも知れない。
私は、大学を卒業すると、ものづくりがしたくて大手自動車会社に就職した。
ところが、その自動車会社の経営がうまくいかなくなった時期があり、多くの社員は取引先などの会社に転職させられた。
転職先は自分では選べなかったが、たまたま大手造船会社に決まった。
船が好きな私にとってはとてもラッキーな事だった。
営業部がなかったために、技術者である私たちが取引先の担当者に直接説明しなければならなかったが、半官半民のような会社であったので、安定して研究開発に勤しむことができた。
ところが、その造船会社も事件を起こし官公庁の入札を5年間も禁止されてしまった。
31歳から勤めて18年目の出来ことだった。
そのとき49歳、節目の年を目前にして、先々のことを考え会社を退職することにした。
九州の宮崎で母が一人暮らしをしていることも気になっていた。
退職後は、母の元でしばらくのんびり、美しい宮崎の景色を見ながら、これから何をしたら良いのかとじっくり考えようと思った。
約1年たった頃、3.11東日本大震災が起きた。
原発が危ない!とわかって、湯沢社長が宮崎まで飛んできた。
「いつまで何をしているんだ!のんびりしている場合じゃあないぞ!」
「早く東京に戻って、太陽光発電の会社を起業するんだ。」
そうは言っても、技術はあるが先立つものも必要だ。
湯澤社長が3,000万円の出資をしてくれ、自社の1室を家賃なしで提供してくれた。
私が開発していた蓄電技術を、今こそ使う時と判断して下さってのことだと思う。
当時、蓄電の技術を開発していたのは、私ともう一社だけだった。
船の中には送電線など届かないが、電気は必要だ。
船の技術は以外と進んでいて、船を動かすモーターを直流から交流に変えて電気を発電するのだが、そんなことは容易く出来た。
しかし、船が動いていないときは蓄電が必要になるため、蓄電についての研究開発はかなり前からしていた。
災害時のことを考え、3.11の震災前から蓄電の必要性を世の中にかなり訴えたが、当時は誰も見向きもしてくれなかった。
各家庭で太陽光発電した電気は、売電した方が儲かったからだ。
売電は各家庭が使用して残った分しか販売できないが、当時の売電価格は1kwh当たり48円と電気料金よりも2倍近く高額だった。
更に深夜料金は、8円と安かったので電気料金を支払ったほうがお得だった。
昼間に蓄電して、夜に使うなどという発想は全くなかったのだ。
しかし、3.11が起きて世の中は変わった。
2011年4月18日に起業して直ぐに、多くの注文を受けた。
お陰様で、1年足らずで出資していただいた3,000万円をお返しすることができた。
ところが、起業当時に蓄電技術をもった会社は、弊社を含めて2社だったが、1年後には大手電気メーカーに蓄電技術が追いつかれてしまった。
そこで方向性を変え、メガソーラー発電所を手がけることにした。
すると、昔からお付き合いのあった大曽根社長から、スキー場横の広大な土地にメガソーラーシステムを建設するチャンスをいただいた。
そして更に、時代の流れが見方した。
太陽光発電が見直され、今年(2013年)7月からは企業が太陽光発電で発電した電気も売電できる法律が施行される。
更に、家庭用と違って企業用は、残った電気ではなく全量の売電が可能になるとされている。
人と時代と技術に恵まれた人生だと思う。
そのきっかけを作って下った湯澤社長と大曽根社長には、物凄く感謝している。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
3.11の東日本大震災
この日を境に私の人生は大きく変わった。
起業して半年たった頃、テレビのニュースを見ていると、病院で停電が起きたら命にかかわる重大な事態がおきるということが放映されていた。
早速、9月11日に仙台の各病院へソーラー蓄電システム(G-SOLAR)を寄付することを決めた。
9月11日は、9.11から丁度10年ということで、マスコミが沸き立っていた。
そこに便乗したかのように、テレビや新聞等に取り上げられた。
取材が殺到し、それまでほとんど無名だったのに、その日を境に一日100件を上回る問い合わせに追われるようになった。
特に、病院からの問い合わせが多く、受注もたくさん頂いた。
売り上げも、1年目は実質半年だったが1億円、2年目2億円、3年目30億円、そして今期100億円の受注残を抱えている。
まさに時代の波に乗ったと言える。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
ものづくりにはお金がかかる。
売り上げは順調に伸びてきたが、開発費は膨大にかかる。
良いものを安く世の中に提供するには、もっともっと開発する必要性がある。
最近では、ソーラーバッテリーの携帯用充電器やスクーター等も開発し発売している。
更に、標準的なサラリーマン家庭でも無理なく購入できる程、更に低価格で高性能な家庭用蓄電ソーラーシステムを開発し、近々発売予定だ。
開発費や人材不足などの問題を抱えながらも、大好きな「ものづくり」ができる喜びをバネに開発し続けている。
◆夢は?
エコタウンの開発!
ついに国が後押しをした、大規模再生エネルギー都市計画が九州の糸島市で始まった。
タウン内の電気は、太陽光発電を採用し蓄電もしながら、九州電力に売電する。
使用電気は、九州電力から購入するが、売電と買電はプラスマイナス0になるようにする。
国と大手建設会社と一緒に、これを成功させる!
グローバル・リンク株式会社
http://globallink.co.jp/
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儀間悟 (火曜日, 13 9月 2022 09:41)
富樫氏が到達された水発電は、正に世界がひっくり返る(ノーベル賞以上の)大発明です。
これでどんな辺鄙な所でも暮らせるようになれば、地方再生にも大きく寄与し大都市集中も解消されていくことでしょう。
そしてなによりも二酸化炭素排出や放射能汚染等発電にまつわる問題も一気に解決します。
なのにこの現実を大マスコミが大々的に取り上げないのか疑問でなりません。
既得権に縋りカネモウケ主義の経営者が跋扈する今日、この様な方が居られるのは何よりの救い(人類の救世主)です。
これらも健康に注意され、更なる事業展開を期待いたします。
楠本正弘 (火曜日, 04 7月 2023)
富樫さん楠本です。覚えていますか?68歳の時に脳梗塞で倒れ今日に至っています。益々のご健勝お喜び申し上げます。