「ミニ四駆」「ポケモン」等の仕掛け人!
株式会社 小学館
マルチメディア局
クロスメディア事業センター
チーフプロデューサー
久保 雅一氏
2013.10.20 17:30
◆業種
出版業 映像/キャラクタープロデュース
「ミニ四駆」「ポケモン」等の仕掛け人!
◆子供のころになりたかったものは?
学校の先生
小学校に好きな先生がいたから、が一番大きいかな。
結構やんちゃな子供で、小学校からサッカーを習い始めた。
銀行員である父の転勤のため、小学校で4回、中学で3回と転校が多かったがサッカーだけはなんとか続けていた。
転校は多かったが、中学2年以降の友達は今でも交流がある。
中学2年の時に父がマイホームを購入し、父の転勤は続いたが家族は東京・国分寺に落ち着いた。
大学では教育学部を専攻した。
大学2年の時に1年休学してアメリカで遊学した。
ちょうど、父がLAに転勤となり、家族もLA郊外に転居することになったからだ。
州立大學にも通ったが、カリフォルニア州外から来ている生徒の授業料は法外に高く、一年で早稲田に戻った。
早稲田での想い出は、ヨットのサークルと教育実習。
母校で行った教育実習はきつかったが楽しかった。
実習の終わりには、生徒たちからネクタイのプレゼントを貰ったことは嬉しい思い出になっている。
ところが、その年は希望する高校の採用がなかった。
今思えば、離島や夜間の教師もやってみれば良かったと思うが、一般企業に就職することにした。
けれど就職試験には面接もあり、これは学校の試験と違って明確な点数がわからない。
最初の頃は、どうして落ちるのか?何が足りなかったのか?と考えさせられた。
いくつか受けるうちパターンがわかり、面接試験の自信がついた。
最後の方は、「これは落ちるはずがない。」と確証を持てるようになった。
そんな頃、いつも楽しそうにしている知人の父親が出版社のカメラマンを見ていたこともあって、出版社もいくつか受けてみることにした。
出版社が楽しそうだと思ったのはそれだけではない。
学生の頃、男子の料理としてCanCamという雑誌のボーイズクッキングというコーナーに、友人のクエート人に教わったアラブ料理が掲載されたことがある。
その時から、「雑誌をつくるって楽しそうだな。」と思っていたのだ。
そこで、小学館に就職することにした。
その年の新卒採用は19名。
そのうち女性は6名だった。
その男子13名のうち、営業担当は2人、そのうちの一人が自分だった。
最初は、マスコミとして誌面つくりに活躍できる編集になりたいと思っていたので少しがっかりした。
しかし書籍や雑誌は、本誌や付録なども含め大量の紙を使用する。
営業といっても資材調達で、大事な仕事だった。
これを2年続けていたところに、出版社でもビデオやレーザーディスクの製作が始まった。
初めての試みなので、社内でも手探りで作っていた。
同郷の先輩が「お前やってみろ」という感じで担当になった。
当時は、SFアニメーション映画の『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』をビデオ販売し始めていて爆発的に売れた。
他に、月刊コロコロコミックでも連載された『ドラえもん のび太の恐竜』等も大ヒット。
その後、マクロスを担当していた『てれびくん』編集部へ異動。
2年半在籍した後、『月刊コロコロコミック』へ異動。
「おぼっちゃまくん」を7年間担当、ビックリマンチョコにアニメ化などを経験する。
副編集長などを経てミニ四駆の2回目のブームをしかけ大成功。コロコロコミックを編集部の仲間達と100万部へ押し上げた。
そんなさなかの1995年の末、ポケモンに出会う。
ポケモンは、テレビゲームが最初で、1996年2月27日に発売の翌日、コロコロコミックでも連載を始めた。
手ごたえを感じたのは、その年の5月頃、小学生の口コミで爆発的に流行っていった。
夏にはポケモンのテレビアニメ化の企画書を携え任天堂さんでプレゼン。
企画が通り、湯山邦彦監督、三間雅文音響監督を要し、小学館プロダクション/OLMでアニメ制作が始まった。
97年4月1日よりテレビアニメが放送され、ポケモン人気は不動のものになった。
97年10月からは、子供達への情報番組「おはスタ」を企画・プロデュース。
小学館プロダクション制作で番組放送回数は3500回を突破した。
97年12月16日、光点滅の放送事故が発生。ポケモンのテレビアニメは4ヶ月間放送中止となった。
多くの方にご迷惑をおかけし、また放送再開に向けて多くのファンの方の後押しを受けた。
そのことは、自分を含めたアニメ制作陣を初心に戻し、今でもそのことのご恩返しのつもりで仕事に取り組んでいる。
1998年に公開された劇場版ポケットモンスター『ミュウツーの逆襲』からシリーズ14回まで、映画の企画責任者としてエグゼクティブプロデューサーを務めた。
海外展開を始めたのもこの頃のこと。98年1月3日から3日間かけて北米展開のマスターライセンスの交渉を行った。
大学時代に1年間、遊学していた経験が生きた。
今、ポケモンは78カ国以上で放送されたり事業展開した実績を持っている。
そのきっかけを作れたことは今でも良い経験になっている。
ロングヒット作といえども当事者は胃が痛い毎日だ。
プロデュース業務は、自分の感覚をいかに国民の最大公約数に留めておくことが大きなポイントと考えている。
爆発的に流行るものをつくるのに、突飛な発想はいらない。大切なのも庶民感覚、ファンの意識だ。
自分が良いと思ったものを、より多く方が良いと思ってくれればそれでいい。
発想の仕方については、母の影響を受けていることもあるかも知れない。
母は堅いと思われがちな銀行員だったのだが、凄くおちゃめな人だったと聞いている。
銀行の忘年会での集合写真を見ると、母が支店長の後ろで、支店長の光る頭上に銀の皿をかざして写っている。
天使を演出したのだと思うが、銀行という固い職場でそんなことをやってのけるなんて、後で相当怒られたと言っていた。
また一度とならず、ボクの暴れん坊ぶりに手を焼いた担任の先生と対決し、親子面談では、「うちの子供はそんなに悪い子じゃありません。」と言い放ち教室を後にしたことがあった。
そんな面白く、たくましく、愛情豊かな母は油絵も描く、昔の作品を見ると幾つかはなかなかなものだ。
もう亡くなってしまったが、とても感謝している。
ボクにとって作品は自分の子供のようなもの。誰になんと言われても守り続け、信じ続けて育てていく精神は母に学んだように思う。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
起きたらコーヒーを飲む
自分で濃い目のエスプレッソをたてミルクを沸かす。
これがないと一日が始まらない。
また、パイナップルが好きで、良くカットパインを買って食べる。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
いっぱいいる。
毎日のように色々な人にお世話になっている。
ミニ四駆、ポケモン等の企画を現実化できたことは、多くの人の協力があったからこそと思っている。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「恵存(けいぞん)」
サインをした時の最後に書いている言葉。
「優しくしてね。」という意味も含め、「傍に置いて頂ければ幸いでございます。」という気持で書いている。
「ポケモンストーリー」という本を出版した時、作家の畠山けんじ氏に教わった言葉。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
毎日が転機
年代の離れている人達の考えはわからないが、若い人を観ていると「『ふぅーん』そういうふうに考えるんだ。」と驚く。
感動することもあるし、少々疲れることもあるが、毎日ふれあう人から学ぶことは多い。
今日も、舞台を観に行ってきたが、主演女優の桐谷美玲さん(23歳)が2時間半通しで出演している。
観ている方にも休憩がないのに驚いたが、それにしても走ったりしながら、長いセリフを良くあれだけしゃべれるなぁと感動した。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
いっぱいある。
一つ例を挙げるとするなら、中学2年の時転校した先の学校にサッカー部がなかった事。
これは衝撃だった。
小学校からずぅーと続けてきて、転校も多い中、連続性があったのはサッカーだけだったのに。と思った。
同じようなボール競技だと、バスケット部かバレー部しかない。
そこで、ミュンヘンオリンピック前で男子バレーが流行っていたこともあり、バレーボール部に入ることにした。
高校になってサッカーに戻ろうと思っても、一度離れてしまうと体がついていかない。
その後、長い年月を経て、子供がサッカーを始めて審判としてサッカーにかかわるようになった。
子供が成長し、少年サッカーを離れた今でもコーチ・審判はかろうじて続けている。
◆夢は?
どんなものでも映画をつくりたい!
CGやアニメにしても、実写にしても、海外でも多く観てもらえるような作品にしたい。
現在、小学館では年間14本程度の映画を手掛けている。
一つの作品が出来上がるまでには、企画から3年くらいかかることが多い。
企画を立ててから作品になるまで、時間も労力もお金もかかる訳で、スポンサー等の資金調達までも自分たち探すことがある。
企画を考え、チャンスを創る!
子供達の成長を助ける仕事も継続したい。
ここ6年ほどはモータースポーツに関わっている。
いつかはスーパーGTを走るドライバーを育ててみたい。
これは定年後の夢になるかもしれませんね。
久保雅一Twitter
https://twitter.com/Mskz_Kubo
2013年11月29日に公開予定の映画「あさひるばん」
http://asahiruban.jp/
自ら更新しているFacebook
https://www.facebook.com/asahirubanmovie
https://www.facebook.com/RobotRacing.jp
教務
東京理科大学大学院MIP 客員教授
北京伝影学院 客座教授
研究活動
(社)日本知財学会 理事/コンテンツマネージメント分科会担当
※手掛けた作品
・キャラクタービジネス
「ミニ四駆」「イナズマイレブン」「ダンボール戦機」など多数
・コミック・アニメ・メディア展開
「ポケットモンスター」
・TV番組
「おはスタ」の企画
・アニメ作品のプロデュース
「劇場版どうぶつの森」
「映画レイトン教授」
「テレビアニメイナズマイレブン」シリーズ
・実写作品プロデュ−サー(Co.Produce含む)
「ジュブナイル」
「ALWAYS 三丁目の夕日」
「ALWAYS 続・三丁目の夕日」
コメントをお書きください