世界を牽引するKADOKAWAの機動戦士「戦えば必ず勝つ!」王



株式会社KADOKAWA 

代表取締役専務

井上伸一郎氏

2013.5.27 1000


井上伸一郎

 

◆業種

 

会社経営、編集者、プロデューサー

 

 

◆子供のころになりたかったものは?

 

特技監督(特撮の監督)

 

幼稚園の頃、父親に連れられ初めて映画を見た。

 

「太平洋の翼」

 

ゼロ戦が海上をスレスレに飛んでいるところを、真上から撮影した特撮の映像は今でも強く印象に残っている。

 

2回目は「三大怪獣-地球最大の決戦」。

 

登場怪獣はゴジラ、ラドン、モスラ、キングギドラ。

 

それはもう大興奮!

 

その日の夜、幼稚園児の私は発熱してしまった程だ。

 

初の洋画は、「海底2万哩」

 

ジュール・ヴェルヌのSF小説「海底二万哩」を、ウォルト・ディズニーが映画化した作品。

 

特に、円谷英二氏の怪獣映画やゴジラ等が大好きで、特撮にとても興味を持ち自分で撮ってみたいと思った。

 

幼稚園児の頃から見るより撮る方に興味があった。

 

それは、中学生になっても高校生になっても変わらず、当時の少年向雑誌には、映画の撮り方が図解付きで書いてあり、それを見ては益々撮りたいという気持を膨らませた。

 

 

◆毎日欠かさずしていることはありますか?

 

1、  腕立て伏せ40回

 

2、  毎朝トマトジュースを飲む(夜お酒を飲むことが多いので)

 

3、風呂で文庫本を読む

角川ノベティの防水カバーを使用している。

しかし、たまに寝てしまうので、湯船に沈んでズブ濡れになる。

 

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

人物:富野 由悠季(とみの よしゆき)氏

 

代表作に「機動戦士ガンダム」などのガンダムシリーズがある。

 

原作者であり総監督を務めた人物。

 

一説に、初めて会った人は「いきなり怒られる」という噂があったが、私がお会いした時は怒られなかった。

 

なぜなのかよく分からない。

 

富野氏をインタビューしたことがきっかけで、その後、富野氏の担当になった。

 

ガンダムシリーズを制作中にもかかわらず小説を書いていて、テレビアニメの監督業と、小説家を同時にこなせるなんて凄いと思った。

 

毎週、原稿を取りに伺うと1時間くらい世間話をして帰る。

 

多くを学ばせて頂いた。

 

印象的なエピソードを挙げるとするならば、1983年2月から約1年間放送された「聖戦士ダンバイン」というテレビアニメの打ち上げ旅行だ。

 

最終話のアフレコの前日、夕方から「丹沢にしし鍋を食べに行こう!」ということになった。

 

声優や関係者、スタッフが一堂に会し、飲みながら宴会が始まった。

 

すると、次回作の準備もあり、一番忙しいはずの富野監督が来ているのに、各話の演出家たちが来てないことに気が付いた。

 

「なぜなんでしょうね?」と聞くと、富野氏が「グータラなのよね。」と一言。

 

人に呼ばれた時や、人が集まる場所にはなるべく出向き、コミュニケーションをとることの重要性を富野さんは大切にしているのだな、と解釈した。

 

若干23歳、人生訓として残った。

 

だから今も人からお誘いの声を掛けられると、時間的、物理的(物凄く距離が遠い等)に無理がない限り参加することにしている。

 

一期一会の機会、なるべく応じたい。

 

本:

小学生の頃は、「シャーロックホームズ」や「江戸川乱歩」の本が好きで、1週間に1回、土曜日にお小遣いをもらい、毎週1冊買うのを楽しみにしていた。

 

中学生になると、アメリカのSF小説作家「レイ・ブラッドベリ」の作品を好んで読んだ。

 

高校生の時は、「平井和正」著のSF小説「ウルフガイシリーズ」や「ジョン・アップダイク」の小説や「ライ麦畑でつかまえて」で有名な「D・J・サリンジャー」の著書もよく読んだ。

 

特に「D・J・サリンジャー」著「フラニーとズーイ」は、人生に絶望し、傷心した妹を、兄が必死でカウンセリングする話。

 

10代特有の「うつ」には効果的で、死にそうな気分になった時この本を読んで救われた。

 

 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

「戦えば必ず勝つ!」

 

負ける勝負はしない。

 

しかし、最初から勝てそうだなと思える試合しかしないということではない。

 

勝つには勝つ要素がある。

 

勝てる!という確信を持てるまで、勝てる要素を集めてから挑む。

 

しかし人生は、6勝4敗でいいと思う。

 

6勝4敗でも勝ちは勝ち、せめて勝ち越しにしたいじゃないか!

 

しかしこれも、最初から6勝4敗を目指すのではなく、100%勝つ!ぐらいの要素を集めて挑まないと、この結果すら出ないということだ。

 

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

2つある。

 

1、   大学生時代のアルバイト

 

1980年3月、春休みにデパートでアニメフェアがあった。

 

そこでアニメグッズの販売員としてアルバイトをした。

 

実演販売みたいに子供たちと一緒になってキャラクーの砂絵を作る。

 

砂絵はシール式になっており、色別にシールをはがしながらカラー砂を載せていく簡単なものだが賑やかしい。

 

他にも、アニメセル画のレプリカを販売していて、子供のお父さんから「本物じゃないものを何で売るんだ!」と怒られたりすることもあった。

 

最初はチーフアルバイトを含め4、5人いたが、一人、また一人と日にちが増す毎に人が辞めて行く。

 

私は、同居の祖父が酒屋を営んでいて店番をすることもあり、接客を苦痛に思わなかった。

 

更に、住み込み従業員のいる大家族で、母は大量の食事作りに大変だったが、私は賑やかなのに慣れていた。

 

ところが、皆このアルバイトのことをキツイと言っている。

 

ある朝出勤するとチーフも誰も来ない。

 

一人で、接客や品出しをしていたが間に合わず、担当の社員さんに電話した。

 

「あのー自分1人で、商品もなくなって来ちゃったんですけど。」というと社員さんは飛んで来た。

 

この時のことが、「根性ある」と評価され、アルバイトながら同社の雑誌編集部門のアルバイトに抜擢された。

 

大学を中退して編集に没頭、その後社員になり、出版業界に入るきっかけとなった。

 

人生はわからないものだ。

 

また、この時デパートの社員さんが一言。

 

「商品はたくさん並んでないと売れないんだよね。」は、人生訓になり今も活きている。

 

2つ目:1985年に創刊されたアニメ雑誌、「月刊ニュータイプ」の副編集長になったこと。

 

これがなかったら、今の自分は無いかも知れない。

 

最初の会社を辞めてフリーになり、雑誌「ザテレビジョン」のアニメ特集の記事を担当した。

 

そして、「月刊ニュータイプ」の副編集長として抜擢された。

 

フリーとして入社したがなぜか、部数会議に参加を許されて、ガミガミ怒られた。

 

「売れる本を創りなさい。」ということだった。

 

経営者として営業的な観点というより、本の内容を「売れる」ようにするということだ。

 

「売れる本を創りたい!」

 

当時専務だった角川ホールディングスの「角川 歴彦」会長は、営業を担当していたが編集者的感性も凄かった。

 

一つのアニメ画像があったら、それを大きく見せるか、細かいパーツで見せるかで読者の印象は大きく変わる。

 

そういった具体的なことを教えてもらった。

 

2年後正社員になり、編集長格になった。

 

バブルや第二次ベビーブームで読者層の人口が増えたこともあり、5年連続で毎年2万部ずつ実売部数を増やすことができた。

 

もちろん、読者アンケート等をして、売れる施策を立てて行く。

 

そして勝つための要素を集めた。

 

その功績から、次は赤字続きの女性誌を建て直せと言われた。

 

赤字は減らせたが、黒転には至らず、1年3ヶ月後に休刊となった。

 

その後、別の女性誌が創刊されることになり、編集長を担当することになった。

 

バブルもはじけ、時代は節約や激安ムード、雑誌の創刊誌もグッと減った時代だ。

 

バブル期とは「人の心が変わった」と捉え、都市情報誌の要素を取り入れた。

 

すると、どんどん売れ始めた。

 

売れたら今度は、「漫画雑誌を立ち上げるから担当してくれ」と言われた。

 

女性情報誌を創刊したときは、「3年はやってほしい」と言われたのにたった4ヶ月後のことだった。

 

女性情報誌の編集長と、漫画雑誌の立ち上げ準備を同時に行うことになった。

 

漫画雑誌立ち上げの準備期間は1年3ヶ月あったが、アニメと漫画は似ているようで全く違う。

 

漫画に強い編集者をスカウトする等、大忙しとなった。

 

 

◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

女性誌を結果的に休刊させてしまったこと。

 

赤字雑誌を引き継いだとはいえ、プロとして辛い。

 

私の挫折回避法は、決まったものがいくつかある。

 

1、 やけ酒

どうしようもないときは飲むしかない!

 

2、 研究

何で負けたかを考え、勝つための要素をメニュー出しする。

 

3、 アニメを観る

毎回決まって観るのは「新造人間キャシャーン」というSFアニメ。

 

たった一人で地球を守るため、攻めてくる「アンドロ軍団」と戦うのだが、キャシャーンにとって何の得もなく終わる。

 

毎週、アンドロ軍団が攻めて来ることを知らせに行っても、逆に怪しいもの扱いされ「帰れ、帰れ」と怒鳴られ邪険にされる。

 

第9話「戦火に響け協奏曲(コンチェルト)」では、アンドロ軍団がせめてくるので市民が町を捨て皆逃げてしまったのに、盲目のピアニストである少女は、一人戦火の中でピアノを奏でていた。

 

それを聴いた市民たちは町を捨てたことを恥じ、皆が少女のもとにぞろぞろと戻ってくるという感動的なシーンがある。

 

しかし、その場面と同時進行でキャシャーンは一人、ボロボロになりながらアンドロ軍団と必死で戦っている。

 

誰一人として、キャシャーンが戦っていることなど見向きもしない。感謝することもない。

 

まだ「帰れ、帰れ」と邪険にされても、相手にされている方がまだましではない

 

かと思いえる程、存在を完全に抹殺されてしまっている。

 

これを観て、「自分よりどん底のヤツ(アニメの主人公)がいる。」、「まだがんばれる!」と思う。

 

他に第7話の「英雄キケロへの誓い」や、実写版の特撮テレビ番組「シルバー仮面」もよく観る。「シルバー仮面」の主人公も、「キャシャーン」と同じく、誰かにほめられたくて戦っているのではない。

 

偏見をうけながらも、無償の行動をする。その姿に心を打たれる。

 

 

◆夢は?

 

海外の人にも楽しんでもらうようなWEB配信をする!

 

特にWEB対応の、小説やコンテンツに力を入れ、技術や出し方を変えていく。

 

これは夢でありミッションである!

 

今年2013年10月、会社組織が変わる。

 

分社化していた各社を一つにして「株式会社KADOKAWA」として生まれ変わる。

 

紙+映像配信+電子書籍を柱に新しい発想のWEB事業を取り入れた、新しいKADOKAWAをうまく軌道に乗せたい!

 

 

株式会社KADOKAWA

http://www.kadokawa.co.jp/

 

株式会社角川書店

http://shoten.kadokawa.co.jp/