株式会社サイモンズ
代表取締役
斉川 満氏
2012.9.28 13:30
◆業種
ポイントサービス、データベースマーティング
◆子供のころになりたかったものは?
《地質学者》
子供の頃から、建設現場などで大きく地面が削られた場所などがあると地層を興味深く見ていた。
子どもながらも、地層には地球の昔の世界が感じられ、特に化石や特徴のある石を見るとなんとなくわくわくしていた。
小学生6年の夏休みに、河岸段丘(かがんだんきゅう)について、いろいろ調べて研究レポートを提出した。
(※河岸段丘とは、河川の中・下流域に流路に沿って発達する階段状の地形のこと)
指導していただいた校長先生のおかげで、それが評価されたという記憶がある。
石もよく集めた。
自分で探したり、店で買ったりしたものだ。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
「今日も元気でがんばろう!」と思うこと。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
《両親》
趣味は読書とも言えるので、いろいろな本を読むが、それはそれとして、支えになった人物ということでれば、やはり《両親》しかいない。
当たり前のことだろうが、尊敬している。
両親ともに大正生れで今も健在だが、昔は戦争、戦後の時代でもあり、生活するだけで精一杯の日々を過ごしてきたと言える。
ただ、子ども達に対しては、それぞれ自由にさせてくれた。
しつけとか生活態度については厳しかったが、進路等を含め、基本的には自分達の思う通りに決めさせてくれた。
ひとつの事例だが、中学生の夏休みの時、徹夜での土方のアルバイト(道路舗装工事)をした際も、了解してくれた。
当時、私は力仕事をする人たちに憧れていたので楽しかったし、おかげで身体を鍛えることもできた。
自分が親になってからは、自分の子ども達には、少なくとも物心つくまでには、できるだけ子ども自身で自分の可能性を求めるような考え方ができればと思って接した。
これは結構独善的な面もあるが、2歳くらいから小学生までの間、大体週末の数時間は、自宅にある大きな白版(ホワイトボード)を使って、絵や文字をかいたり、算数をしたりして過ごした。
当然、しつけや生活態度には厳しくした。
その後、娘達の進路は娘達自身に決めさせた。
子どもへの教育原点は、自分が両親から学んだように、(勉強をさせるとかということではなく)、「世の中に迷惑をかけず、自分のことは自分で決めいく(ということは、自分がしたことについては責任を取る)」という考え方を教えることだと理解している。
いずれにしても、両親には感謝している。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
人生を変えたというような大仰な言葉はないが、普段から頭の片隅においている言葉は、「吾唯足知」(吾(われ)唯(ただ)足(た)るを知る)というものだ。
(※石庭で有名な、京都の龍安寺にある手水を張っておく石に刻まれている言葉。「不満に思わず満足する心を持ちなさい」という戒めで刻まれたと言われている)
何と言うか「あまり欲はかかず、ほどほどにする」という考え方が、この世知辛い世の中を渡たるには適当であると思っている。
昔も今も、世の中で生きるのは、ほどほどがいいようだ。
そして、私はこの考え方を自分のビジネスの基本にしている。
一人勝ちのビジネスモデルは絶対に長続きしない。
昔からよくいう「三方よし」の考え方がそれを実証している。
したがって、「企業、個人、社会の三者がWIN=WIN=WINになる」ビジネスモデルの構築に取組んでいる。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
特に人生の転機というほどの特別な時期を過ごしたというような思いはないが、ありきたりで言えば、約30年勤めていた会社を辞めて、起業した時(2003年8月)かもしれない。
会社を辞めると決めた時、家族会議を開いて、「これから会社を辞めて、自分で会社を起こす。
場合によって、すぐ倒産ということになれば、家族全員で、四畳半一間に住むことになるかもしれない。
それでもいいか。云々」というような話をした覚えがある。
当然、家族は理解したが、面白い話がある。
私が会社を辞めるとなったら、家内が会社の先輩の奥様方から「なぜ会社を辞めさせてしまうの。
このまま居れば安定した生活が過ごせるのだから、辞めさせてはだめ」といろいろ言われたそうだ。
ところが、その会社は、こともあろうか、それから6年後に倒産してしまった。
倒産した後に、先輩の奥様方からは、今度は「お宅のご主人は先見の明があるのね」と言われたそうである。
私は、「吾唯足知」とか「人間万事塞翁が馬(世の中、幸福や不幸は予測できないという意味)」という言葉の意味がなんとなく人生を表していると思うので、日々の生活の変化を楽しめれば、転機とかいうほどの大げさなこともないのではと思う。
毎日を坦々と過ごすことが一番だ。
2003年8月に起業した会社は、巷で広まっているポイントを活用したビジネスモデルの構築を行っている。
ポイントカードを発行しているお店が増え、財布の中はポイントカードでパンパンになっている。
これらお店で発行されているポイントを共通、一本化(一枚のカードに統合)すれば、もっと使いやすくなる。
つまり、消費者のメリットに繋がる。
次に、各お店の顧客データを纏めて、システムとして活用できるようにすれば、マーケティングに使え、お客様の来店を促進させることができる。
また、システムも導入コストを極力下げて差し上げれば、中小企業や商店街までもが取り入れて、販促に活用するようになる。
つまり、お店のメリットに繋がる。
更に、消費者がポイントをためても、未使用で捨ててしまうポイント(有効期限切れの失効ポイント)を、お金にして社会貢献や地域の活性化を使用する。
つまり、社会のメリットに繋がる。
企業も一人勝ちを求めるのではなく、消費者も自己の利益だけを求めるのではなく、地域社会も行政支援(税金を使った助成金等)に頼るのではなく、それぞれが互恵の考えで取組み、お互いがWIN=WIN=WINになれるという新しい関係性を作る必要があるのではと思っている。
たかがポイント、されどポイントを上手に活用すれば、「人を変える・地域を変える・日本を変える」というシナリオが書けるのではと小さな野望(?)を抱いている。
実際に事業を開始して、早いもので8年を越えて、今に至っている。
今年は、昨年の震災という経験を経たこともあり、弊社の仕組みでポイントサービスを展開している北海道各地のお店とご利用している消費者が、自分たちの失効ポイントをそれぞれが属する地元の市町村へ寄付した(内訳は、稚内市(約63万円)、鷹栖町(約33万円)、札幌市(約133万円)、網走市(約19万円)、旭川市(約23万円)、函館市(約16万円)という結果であった)。
また、神奈川県大和市のお店は、横浜市の水源と言われている山梨県道志村へ約11万円を寄付した。
このように、徐々にではあるが、弊社が設立時より志向している「企業、個人、社会の三者がIN=WIN=WINになる」という「三方良し」のビジネスモデルが実際に出来つつあるという実感がある。
それから、「地域の活性システム論」を様々な角度から研究している地域活性学会があるが、それの下部組織として研究成果を実践していく(財)地域活性機構に関し、立ち上げから維持運営まで、お手伝いしている。
地域は一様ではなく、それぞれの特性を活かして、様々な角度からシステマティックに取組むことも重要であり、そういう面での考察も重ねているところである。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
問題や障害が起きても、先ほども言った通り、ほとんどが大したことではないと思っている。
結局は、なんとかなるものであり、逆にうまく行っている時の方が「本当の試練」と思うべきかもしれない。
元気よく希望を持って毎日を過ごせば、全て自然と良くなると考えている。
兎に角、物事に囚われず、クヨクヨしないことだ。
◆夢は?
夢というほどのことはないが、あえて会社と絡めて言えば、今迄累積で5000万円強を寄付している、これを年間1億円にしたいと思っている。
ゼロから起業したベンチャー企業が、ビジネスモデルとして毎年1億円を寄付できる仕組みが構築できれば、「やはり、世の中面白い!」ということを実証できるかもしれない。
それから、私自身全国の地域を回って、地域の活性化のお手伝いをしたいと日々取組んでいるつもりではあるが、一部自分として納得できない面がある。
それは、人様の町は結局自分で責任を取らなくてもいいからと言う、コンサルタント的な思いで取組んでいる(好き勝手に言える)と思われるのが自分でも癪(しゃく)なことだ。
私が嫌いなのは評論家的な言動で、自分で取組まず、リスクを負わないことが最もつまらないことを思っている。
それを解決するためにも、いつか自分の住んでいる町の自治会長をやりたいと考えている。
自治会長の目線で、自分ならどういう町にすればいいのかを日々、近所の呑み友達や犬仲間等を巻き込んで、楽しみながら取組んでみたい。
政治とか行政には全く興味がないが、住んでいる住民がある程度の自由度をもって、自立できる仕組みを自分の町で仲間と一緒に創り上げ、自分自身の実証実験のまとめにしたい。
株式会社サイモンズ
一般社団法人 地域活性機構
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