宇宙航空研究開発機構(JAXA)
宇宙探査イノベーションハブ(TansaX)ハブ長
宇宙科学研究所(ISAS) 所長
「はやぶさ2」プロジェクトマネージャー
「はやぶさ」のマイクロ波放電式イオンエンジンの開発者 月・惑星探査プログラムグループ(JSPEC)プログラムディレクタ-
宇宙科学研究所(ISAS)宇宙飛翔工学研究系・教授
東京大学大学院工学系研究科 航空宇宙工学専攻教授
米国航空宇宙学会 名誉会員
國中 均氏
2012.11.9 9:45
2013年10月
電気ロケット推進学会 ストリンガーメダル受賞!
おめでとうございます!
◆業種
工学博士
◆子供のころになりたかったものは?
研究者
なぜか幼稚園の頃から、白衣を着て何か研究しているところをイメージしていた。
高校生になると、天文クラブに入った。望遠鏡やカメラを作った。
望遠鏡やカメラを作って、写真を美しく撮るための工夫をしたが、機材は高額になるだけ綺麗に撮れるから、敵わない。
そこで、流星の観測をすることにした。
カメラを8台くらい横に並べて、流星の動きを撮影するのに工夫した。
また、太陽からの電波を受信できる装置を開発したこともある。
制作費には10万円程かかりそうなので、クラブ活動費として学校に予算請求をした。
ところが、民族文化部からも古い文献を購入したいという要求で、数十万円の予算請求が出ていた。
もちろんクラブは他にもあるので、予算獲得合戦が始まった。
どれだけ自分たちの経費請求が、正当で必要性が高いかをディベートで競った。
「古い文献は図書館にでも借りに行けばいいだろう。」と言って戦ったが、理系はどうしても口では文系に敵わない。
しかし、政治的解決を発案した者がいて、結局予算は均等割りになり9万円が貰えた。
皆で、秋葉原に行って部品を買い、塩化ビニール製のパイプで直径2mのアンテナを2つ作った。
また中高一貫校だったので、中学生を集めてモチベートし部品作りを手伝ってもらった。
その時の中学生の中には、今も一緒に研究所で働いている者もいる。
とても楽しい思い出だ。
そして大学進学の時は、工学部を選んだ。
自分たちの頃は「明るい21世紀」が待っているはずだったので、もともと核融合か宇宙開発のどちらかに進もうと思っていたからだ。
更に、ロケットの研究がしたくて大学院に進学した。
しかし、ロケットの研究は思ったより進んでいて研究の対象にないことがわかり、まだまだこれからだった「電気ロケット」を選んだ。
しかも電気ロケットの研究において、日本は宇宙開発が一番進んでいるアメリカより熱心だった。
アメリカのロケットは大きいからよいが、日本のロケットは小さいからより精巧なものをつくらなければならない。
エンジン開発の分野において、力の入れ方はアメリカも日本も同じくらいなので、エンジンの高性能化を目指せばアメリカとも互角に戦える。
これは面白い!切磋琢磨出来ると思った。
ところが、いろんな人の研究を見ているうち、アプローチの仕方に歯がゆさを感じた。
研究者は、研究が面白いから研究者になった人が殆どだ。
特に工学技術の研究とは、出来なかったことが出来るようになること。
使えるものとして製品化されてしまえば、自分の手元を離れ企業に渡さなければならなくなってしまう。
研究が出来なくなってしまうことは、とても悲しいことだ。
可能ならば、じっくりと手元に置いて研究をし続けたい。
そういう思いもあってか、なかなか電気ロケットの潜在能力を世の中へ知らしめることが出来なかった。
学生から助手へと、長い間研究に携わるうち「これは私がやるしかない」と思った。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
朝がんばって起きて研究所に行くこと。
朝が苦手で、「夜寝たらずっと朝が来なければいいのに」と思うことも結構ある。
特に会議が辛い。
「はやぶさ」のときは、研究に専念できたが、今の立場は色々な仕事が混在していて、広く浅くの世界だ。
どちらかというとメインプレーヤーではなく監督のような立場。
やりがいもあるが責任も大きい。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
栗木先生
電気ロケットの専門家で、東京大学大学院時代の恩師だ。
その先生から教わったことは「まずは専門バカを目指しなさい」ということ。
Generalist(ジェネラリスト:色々な分野の知識や能力を持っている人)は、後からでもなれる。
まずは、Specialist(スペシャリスト:専門家)を目指しなさいということだった。
しかし、「はやぶさ」で成果が出るまで20年。
研究を続けるうち、本当にこれでよいのか?!と思い悩むこともしばしばあった。
うまくいかないことも山のようにある。
また、研究だけならまだしも、性能やコスト、納期など厳しい条件の中で成果を上げ、宇宙エンジニアとして研究者として事業者、企業とのギャップも埋めなければならない。
このギャップはとても大きい。
海外のライバルが気になり、発表をみては研究が進んでいるように見えて焦りを感じることもあった。
自分のやり方は間違っているのではなかろうか?と悩み、もうやめてしまおうか!と思ったことなど何回もある。
海外に向けての研究発表はいい事ばかり言うに決まっているのに、当時は真に受けて悩んだ。
隣の芝生は青く見えるとはよく言ったものだ。
特に、マイクロ波放電式イオンエンジンは、どこにも先人がいなくて参考になるものもない。
失敗したら・・・と恐ろしく感じたこともあるが、この言葉を信じたお陰で研究し続け、結果を出すことが出来た。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「スペシャリストを目指しなさい!」
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
1994年、自分の作ったエンジンを「はやぶさ」に載せると決意したとき。
「はやぶさ」のエンジンは、何を採用するか研究所が悩んでいたとき、研究所から「國中のエンジンは大丈夫か?」と聞かれ、「5年後には大丈夫ですよ!」と答えた。
その時の気持ちを表現すると「大丈夫です!」と言わなきゃいけない「チャンス」をもらった感じだ。
宇宙開発が進んでいるアメリカのエンジンを使えば、手堅くできるかも知れない。
しかし、研究所は商社ではない。
アメリカの真似では模倣になる。
日本で研究・開発している意味がないと考えた。
そうは言っても日本には実績がない。
エンジンの実験は、地上実験しか出来ないので所詮シミュレーションに過ぎない。
不安も多かったが、自分のエンジンを載せた衛星が宇宙へ旅立つことは、研究者としてこの上なく嬉しいことだ。
チャンスと捕らえて5年先を目指し研究に没頭した!
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
研究費の予算がかなり厳しい状況にある。
明日、明後日の利益には繋がらないかもしれないが、10年20年先の日本のためになるつもりでやっている。
これからは資源大国にもなる可能性もあるが、日本こそ技術・人材で生きている国なのだから、もっと研究予算を確保しなければならない。
通常の研究費は年間100万円ぐらいしかないが、「はやぶさ」等のプロジェクトとなれば数億円は必要だ。
この2ケタの壁は大きい。
この壁を乗り越えなければ成果は見えない。
◆「はやぶさ2」のミッションは何ですか?
サンプルのリターン!
「はやぶさ2」が目指すのは、直径1KmほどのC型(炭素質)小惑星「1999JU3(仮符号)」。
この小惑星から、より確実に必ずサンプルを取ってくるというのがミッションだ。
小惑星1999JU3は、もともとはエリゴーンという火星と木星の間にある遠い星からやってきたとみられる。
地球から遠ければ遠いほど、古い情報が残っているので、太陽系が出来た頃に近い情報を得られる。
まだ人類は火星すらサンプル採取に成功していないのに、火星より遠い星の情報がわかる小惑星が、行って来られる範囲にあることは物凄いチャンスだ。
もしも、「はやぶさ2」が生命の起源になる有機物を持ち帰ったら、※パンスペルミア説の証明になる。
※パンスペルミア説とは、地球上の最初の生命の種は宇宙からもたらされたという仮説。スウェーデンの物理化学者スバンテ=アレニウスが、他の天体で発生した微生物の胞子のようなものが、隕石や彗星に付着して地上に飛来したという説を唱えた。
また、採取したサンプルを調べるのは地質学者に依るのだが、彼らは出所がわからないものは研究の対象にならないとしている。
例えば地層は、そこにずっとあるものだから出所がわかるが、隕石や彗星はどこから飛んできたかわからない上に、地上に落ちてから付着物がついてしまうので研究対象にはならないということだ。
その辺に転がっている石ころと同じ扱いになる。
もし「はやぶさ2」がサンプルを持ち帰ることが出来れば、「1999JU3」から持ってきたものとはっきりわかる上、密閉容器に入っているので地上での付着物がないから研究対象になる。
種の起源に関する学説が、ひっくり返るようなことになるかも知れない。
「はやぶさ2」は、本体も燃え尽きることなく、再度宇宙に出て別の軌道に乗せるように設計している。(本当は「はやぶさ」のときもそうだった。)
2014年1月に打ち上げ予定としていて、ぜひとも実行したい!
「はやぶさ」が持ち帰ったカプセルをオーストラリアの大地で拾った直後は、脱力感で椅子に座ったまま暫く動けなかった。
もう一度宇宙へ!という強い思いでここまでやってきた。
そのために人をモチベーションし、技術を磨き続けいている。
宇宙開発は企業の協力を必要とするので、将来は開発に関わる学生を就職させるなど、企業との連携を図ることも考えている。
また、海外依存を減らすため、国産化を進める。
「はやぶさ」のミッションを完成させたときから10年。
正しい未来設定と、それを実現するためのロードマップをつくり、不断の努力を重ねてきた。
思えば、高校生の頃にしていた、予算獲得や中学生をモチベートしたことは今に通じている。
相手は人、モチベートするには、やはり一人ひとりと話をすることが一番だ。
それにはどんな意味があるのかを話し、心を通わせることが大事だと思っている。
◆夢は?
日本で開発したイオンエンジンを海外の衛星に載せてみたい!
「はやぶさ」の遠日点(惑星・彗星の楕円軌道上で、太陽から最も遠い点)は、1.7天文単位(約2億5000万キロ)。
例えば、火星は1.5天文単位、木星は5天文単位。
どちらもサンプルリターンしたことはない。
「はやぶさ」が帰ってきて、日本の技術力を米、欧を始め世界に示せた。
「はやぶさ」等のプロジェクトは1つが10年とか時間のかかる仕事なので、人生においては3本のプロジェクトが出来ればよい方だ。
「若い人が、こういった領域に挑戦してくれて、新しいモチベーションで宇宙に出かけてくれるといいな。」と思っている。
JAXA宇宙航空研究開発機構 相模原キャンパス
http://www.jaxa.jp/about/centers/sagamihara/index_j.html
月・惑星探査プログラムグループ
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