有機野菜で命を繋ぎ大地を守る王!



株式会社 大地を守る会

代表取締役社長

藤田 和芳氏

2013.2.28 13.30


藤田和芳

 

◆業種

 

有機農産物を中心とした宅配業

 

 

◆子供のころになりたかったものは?

 

医者

 

特に、強い意味はなく漠然と考えていた。

 

農村の次男坊として育った私は、物心ついた時から「家を継ぐのは長男だから、お前はこの家に残ることは出来ないんだよ。」と言われて育った。

 

「お医者さん」という職業を思いついたのは、いつか自分の力で生きて行かなければならない!という思いから生まれたのかも知れない。

 

高校を卒業すると、東京の大学に進学した。

 

いつしか医者になろうという思いは消え、選んだ学部は法学部。

 

弁護士になろうと考えた事もあるが、弁護士にならず企業に就職したとしても、法学部なら潰しが利くと思ったからだ。

 

時代は学生運動真っ盛り。

 

お隣の中国では文化大革命が起こり、ベトナムでは戦争が勃発するという激しい時代だった。

 

学生運動は、日米安保条約に不満と憤りを感じた同志が、正義のため国家権力と戦ったが、仲間割れによる紛争で幕を閉じた。

 

世界平和を掲げ、熱き志を持って戦っていただけに、半ば挫折感を味わいながら出版社に就職した。

 

出版社に勤務して3、4年たった頃、ある週刊誌の記事が目に入った。

 

昔毒ガス博士!今キチガイ博士!

 

この記事を読んで、直ぐさま先生のいる水戸まで飛んで行った。

 

まだ出版社に勤めていた頃で、26、7歳のときだ。

 

茨城県水戸市の開業医であるこの博士は、高倉先生と言い元々は毒ガスを研究していた。

 

この医師は、終戦後、満州で旧ソ連軍の捕虜になって、シベリアで抑留された後、命からがらやっとの思いで日本に帰って来た。

 

すると、港から上陸する全員に白い粉をドサッとかけているではないか。

 

この白い粉はなんだ?

と聞くとなんとDDTだという。

 

「シラミ駆除、消毒のためだ」といって、どっさり人々にかけているこの白い粉DDTは、農薬であり、毒ガスの元になるような物質だ。

 

なんでそんなことをするのかと、かなり抵抗したが、結局は押さえつけられ、どっさりとかけられた。

 

長い抑留で気力を失い、どう生きてよいかわからなくなった高倉先生は、直ぐには家に帰らず友人、知人を訪ねて全国を転々としていた。

 

すると各地の田んぼや畑に、あの白い粉がまかれているのを見た。

 

日本の農村に、とんでもないことが起きている!

 

この畑や田んぼで育った農作物を食べた人間は、いずれ農薬中毒を起こすだろう。

 

そう考えた瞬間、気力が沸いてきた。

 

自分が医師だったことを思い出し、地元の水戸に帰って開業した。

 

2、3年すると案の定、農薬中毒の患者さんが出てきた。

 

もともとミネラルの研究者でもあった高倉先生は、もう矢も立てもたまらず、自分の庭で土壌改良剤を作って近所の農家に駆け込んだ。

 

「農薬はやめるべきだ!土壌を改良すれば農薬を使わなくても農業は成り立つ!」

 

そういって、一軒一軒回って歩いた。

 

その様子が「昔ドクター博士!今キチガイ博士!」の記事になったのだ。

 

学生時代、世界平和を志した情熱が蘇ったのかも知れない。

 

自分に何が出来るかわからなかったが、とにかく高倉先生のところに駆けつけた。

 

すると、近所の農家の人の話も聞くことが出来た。

 

農家の人によくよく話を聞くと、「自分たち家族の食べる野菜には農薬は使わない。」という。

 

農薬が悪いことはわかっているが、農薬を使わなければ虫食いだらけになってしまう。

 

虫食いだらけの野菜は、まず農協では引き取ってもらえなし、トラックいっぱいでも2,000円程度。

 

それでは生活が成り立たない。

 

自分たちは見かけが悪くても、虫がついていても取って食べれば良いが、商品となるとそうはいかないというのだ。

 

その話を聞いてひらめいた!

 

学生時代の友人が、数名生協にいる。

 

生協なら、この野菜を取り扱ってくれるかも知れない!

 

そう思って、農家の皆さんと、知り合いの生協を尋ねた。

 

すると、無農薬で安全と聞いて「良いですね。良いですね。」と物凄く乗り気になった。

 

ところが価格の話になると、話は一変してしまった。

 

生協は大量購入をすることで、コストダウンを図り消費者に安く商品を提供するところだ。

 

ところが、無農薬野菜は、1から2割程度は虫や病気にやられて廃棄が出るので、逆に割高になってしまう。

 

結局、買ってくれなかった。

 

意気消沈する農家の皆さんを連れて、「別の生協にも知り合いがいるので、他に行きましょう!行きましょう!」と2、3件の生協を周った。

 

本部までいったが、結局、どの生協も、安全な無農薬の話は「良いですね、良いですね。」と盛り上がるが、価格の話になると盛り下がる。

 

どんなに農薬の怖さを訴えても、価格の折り合いがつかず商談は成立しなかった。

 

また、商品が画一的ではないということも断られた理由のひとつだ。

 

農作物は、生き物だから、農薬を使わずして規格を揃えることは難しい。

 

逆に、画一的でないということは、安全で安心だということになるのだが、当時は相手にして貰えなかった。

 

それならば!と、知り合いに頼んで許可をもらい、江東区大島4丁目団地にゴザを引いて青空市を開催した。

 

「無農薬ですよ!安全ですよ!おいしいですよ!」と農家の皆さんと一緒に力いっぱい叫んだ。

 

すると、団地の皆さんは「子供の頃の味!本物の野菜の味!なつかしい!」と喜んで買ってくれた。

 

団地には地方から移り住んだ人が多い。

 

子供の頃、地元で味わった野菜の味はいくつになっても忘れない。

 

私も、岩手県の農村出身なので本物の野菜の味がわかる。

 

自分たちと同世代の同じ舌を持つ、奥様たちにたちまち口コミで広がった。

 

「うちの団地でも青空市を開いてほしい。」と、あちらこちらから声がかかった。

 

団地以外に、公園や幼稚園などでも開催、場所さえ確保してくれたら駆けつけた。

 

そのうち、定期的にほしいとの要望もあって、班を作って注文を受け付けるようになり、共同購入のスタイルが確立できた。

 

初めは、農薬公害の追放運動として「大地を守る市民の会」を立ち上げ、これが株式会社 大地を守る会の元となった。

 

 

◆毎日欠かさずしていることはありますか?

 

1、ジョギング

 

毎朝5:30頃から5Kmを30分程で走る。

 

今から12年前、北海道の知人に久しぶりに会ったとき「太ったねー」と言われた。

 

とても傷つき、その傷を埋めるために始めたのがきっかけた。

 

1、ツイッター

 

毎朝、朝食は家族で食べるようにしている。

 

どうしても昼と夜は、外食やお付き合いが多く不摂生になりがちだ。

 

せめて朝食だけでも健康的なものをいただきたい。

 

そう思って始めたら、毎朝出てくる農作物は生産者の名前がわかるもばかりだ。

 

例えばだが、「今日のトマトは金井さんか、そういえば金井さんぎっくり腰どうしたかな。」とか、「今日の豆腐は白井さんか、息子さんが受験だと言っていたがどうしただろう。」と考えながら食する。

 

そうすると、毎日、朝食からドラマが生まれる。

 

そんなことを、皆さんに伝えるのは自分の役目のような気がして、毎朝、朝食をいただく前に写真を撮ってTwitterに掲載している。

 

Twitterは通勤電車の中、若者に混ざってがんばっている。

 

現在のフォロワーは7,000人程。

 

また中国語でもTwitterをしていて、中国のフォロワーも200人もいる。

 

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

人物:藤本敏夫氏

 

学生運動の時、全学連の委員長をしていた人物。

 

歌手、加藤登紀子氏の夫としても有名だ。

 

ある日、「大地を守る市民の会」の存在を、何処からか聞きつけて事務所を訪ねて来てくれた。

 

ぜひ一緒にやりたい!と言ってくれ、仲間に加わった。

 

藤本敏夫ご夫妻が居なかったら、会社はこんなに大きくはならなかっただろうと思う。

 

長野県に土壌菌を使って強い作物を育てている、内城さんというお百姓さんがいた。

 

この人を仲間にすると、全国のお百姓さんが仲間になる程、影響力の強い人だ。

 

ある日、この内城さんを藤本敏夫氏、加藤登紀子氏と自分の三人で尋ねた。

 

いくら無農薬、有機栽培のことを熱く語ろうとも、農業のプロの内城さんにしてみれば、ド素人の三人が来たといった感じだったのだろう。

 

内城さんは、土壌菌を使って優良な堆肥を作るプロだった。

 

そして、その土壌菌で人尿や糞を発酵・分解して液堆も使っていた。

 

昔のお百姓さんは、肥料を肥溜めに貯えて、人尿や糞を発酵させて作っていた。

 

その発酵度合いが作物に大きな影響を及ぼすため、お百姓さんたちは、完全に発酵したかどうか指で舐めて確かめていた。

 

こんな話をしながら、内城さんは土壌菌で完全発酵させた黄色い液体を一升瓶に入れてもってきた。

 

聞くと、内城さん手製の「うんち酒」だと言う。

 

藤本さんの目の前に湯のみを置くと、その完全発酵している「うんち酒」を並々と注いだ。

 

「飲んでみろ!」

 

そういわれて、藤本さんも私も硬直していると、その湯飲みにサッと加藤登紀子さんの手が伸びた。

 

「あんたたち男らしくないわねっ」と言ってグイッと一気に飲み干した。

 

そのお陰で、内城さんを仲間に迎えることができた。

 

しかし、「あの時は凄かったですね。」と加藤登紀子さんに話すと、「あら、私は飲んでないわよ。」と言う。

 

とにかく、このお二人がいなかったら今の私は成り立たない。

 

本:とても影響受けた本がニ冊ある。

 

一冊目:F・アーンスト・シューマッハー著「スモール イズ ビューティフル」

 

経済成長や農業の近代化が書かれた本。

 

自分が成長するために、他人を蹴落としてでも幸せに近づこうとする。

 

そのような社会に、皆が流された時には戦争や暴動といった破壊的な状態になる。

 

また、むやみにエネルギー開発をすれば、自然環境の破壊という副産物がついてくる。

 

題名の通り、小さいことはいい事、人は手の届く範囲の人数を幸せに導くことが出来ればいい等と書かれてあった。

 

当時は、世界の平和は何処ぞ!とばかりに国家権力と戦った学生運動で、自分たち自身さえも総括できないという敗北感を味わい、更にサラリーマンとして企業に就職したことを、小市民に成り下がった自分と評価していた。

 

挫折感が大きかったのだが、この本を読んで、気力を取り戻すことが出来た。

 

二冊目:有吉佐和子著「複合汚染」

 

環境汚染問題について書かれた本で、とても共感した。

 

自然環境は、今良いように見えるが、とても大事なものを失った。

 

みみず、どじょう、ホタル、トンボ等に起きたことがいずれ人間にも起きる。

 

この本の内容は、今の仕事にも活きると考え消費者の人に話している。

 

 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

「人の悪口を言わない!」

 

会社を立ち上げる時、有機農業の基準を作った。

 

1農薬や化学肥料はなるべく使わない

2、除草剤を使用しない

3、土壌消毒をしない

4、人の悪口を言わない

 

この4番目は、学生運動から学んだことだ。

 

当時はマルクス主義、社会的思想を持ち、違う考えを持った相手と戦った。

 

最初は、相手の非難から始まり、理論で間違った考えを正そうとした。

 

そのうち、相手を暴力でねじ伏せようとし、更にエスカレートして元々は同志だったものを殺してしまうような状況にまで陥る。

 

この連鎖は、人の悪口から始まっている。

 

本来自分が努力して上に上がればいいものを、相手を下げて自分を良いようにみせる。

 

 

自分をよく見せるために、人をたたくような組織では人は育たない。


人生の転機はいつどんなことでしたか?

1
、「昔ドクター博士!今キチガイ博士!」の記事を見たとき。

2
加藤登紀子さんが、完全発酵している「うんち酒」を飲んでくれた時。

大きく言って、この二つの出来事がなければ、今の自分は存在しない。


問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

人の悪口を言っている人がいるとわかったとき。

まだ会員が2,000から3,000人程だったころ。

とてもいい野菜を作る、ある若い生産者のグループがあった。

ところが、何人かの消費者の方から、そのグループの一人、Bさんを名指しで辞めさせてほしいという要望が入った。

Bさんは堆肥つくりも野菜つくりも下手で、そんな野菜に当たりたくない!」というのだ。

時折、交流会などを開いて、良い関係が出来ていたと思っていただけに驚いた。

私自身も調査し、生産者と消費者を集め話し合いの場をもつことにした。

調べて見ると、中でも一番いい野菜を作るAさんがBさんの悪口を消費者に人々に言っていたことがわかった。

話し合いの席でもやはり、Bさんにやめてもらいたいという話になった。

そこで私は「Aさん、あなたに辞めてもらいたい。」と言い放った。

続けてAさんに「あなたはBさんに一度でも堆肥の作り方を教えたことがありますか?」と訴えた。

私は、後から入ったBさんがAさんより劣るのであれば、教えて育てるのが当たり前だと考える。

結局Aさんが辞めることになった。

A
さんのグループには400人程の消費者がついていて、「Aさんが辞めるなら私たちも辞める」と言って400人皆一緒に去っていった。

正直、とても痛手だった。

倒産の危機とも言えるような出来事だったが、信念を曲げることは出来ない。

うちは仲良しクラブを作るつもりはない。

日本の農業を変えることが目的だからだ!


夢は?

1
、日本の中に、農薬を使わない農民や畑が増えること!

無農薬の生産者と、消費者を繋いで一つのモデルをつくった。

このことによって消費者は安全な食品を定期的に手に入れることができ、生産者も会社も食べていけるようになった。

2
、このモデルをアジアに広める!

中国の北京で準備を始めていて、もう直ぐスタートできる。

人口も多く、著しい発展を遂げた中国の農業が変われば、世界が変わる!

中国の農村と消費者に、「信頼」という二文字が浸透すれば成功できると思っている。


株式会社 大地を守る会
http://www.daichi.or.jp/

大地を守る会 藤田和芳Twitter
https://twitter.com/DWMK_fujita