浅草神社
禰宜
矢野幸士氏
2012/1/22 13:00
◆業種
神職
◆子供のころになりたかったものは?
子供の頃は、商売をしていた家業を継ぐのだろうと、漠然と思っていた。
電気関係の細かいことが好きだったので、高校生ぐらいから電子関係の仕事に就ければと思った。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
1、朝拝(祈願)
2、日記
神社庁から、毎年神職に配られる日記帳に、毎日枠一杯の文字で社務日記を付けていた。
外見が手帳に見えるので、大抵の神職仲間はスケジュール手帳として使っているが、表紙には「日記」と書いてある。
ある時、なぜ日記と書いてあるのにスケジュール帳に使うのか?と疑問に思った。
その時から、日記として始めたのだが、書き出したら、枠一杯埋めないと気が済まない。
2年前からは、枠内に収まりきれなくなってしまったので、パソコンのとあるソフトに移行したが、含めて今年で9年目になる。
これからも続けていく。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
人物:松下幸之助氏
松下幸之助氏に関する本を読みあさり、その理念に感銘を受けた。
創業者としても経営者としても尊敬している。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
白雲無語(はくうん、ごなく・・・)
白い雲は悠然と、誰に逆らうことなく流れている。
私も、時流に身を置き風土や歴史に逆らわず、無理のないようにやっていきたい。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
神職になる決意をした時
浅草神社の宮司は、代々矢野家の世襲であるが、跡継ぎがなかったため、遠縁にあたる私にお声がかかった。
最初は、中学生の時、二度目は高校を卒業した時、三度目はトヨタ自動車の電子研究所で働いていた時だ。
三度目にお声が掛かった時、小学生の頃から好きだった三国志の劉備玄徳が、自ら三度出向いて諸葛孔明を向かい入れた「三顧の礼」と重なった。
三度も望まれるということは光栄なことであるし、私でお役に立てるのであれば、とお受けした。
矢野家の養子になる際、最初の約束は1ヶ月の講習を2回だけ受けてくれれば良いという事だった。
早速、講習を受け神職の仕事についた。
ところが、多くの方から、折角だから大学の神道学科を卒業して「明階」(神職の位)を取得するように切望された。
そうは言っても、電子関係の専門的な勉強しかやってこなかった私が大学受験となると、勉強をし直さなければならない。
小学生などに混じって、浅草の学習塾に2年間通い大学生となった。
卒業後、神社の発展を考え色々と提案し実践した。
より多くの方々に霊験あらたかな浅草神社の神様を知って頂く事。それが私の使命であり、社会に貢献できる事だと思った。
それまでは結婚式など、氏子の方に頼まれれば引き受けるというスタイルだったが、地元のシティホテルや写真館等に神社での挙式の斎行協力を依頼した。「結婚式を神前で厳かに挙げたい方がいらしたら、お引き受け致します。」と伝えにいった。
すると、平成7年まで年間1件だった結婚式が、翌年の平成8年に8件、平成9年16件、平成10年34件、平成11年84件、平成12年160件と倍々で増え続け、現在は年間平均320件位になっている。
職員も当初の2倍に増えた。
結婚式を挙げる人は、お宮参り、七五三、厄払い等、人生儀礼を同じ神社で受け続けられる傾向にある。
今後も地域や人々の発展のため、より良い奉仕ができるよう、創意工夫を重ねていく。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
今から6年前の平成18年の三社祭の時、御神輿に人が乗り、担ぎ棒が折れた。
元来、御神輿というものは神様の乗り物。
しかし三社祭では、それまで毎年、御神輿に人が乗ることが当たり前とされていた。
この「悪しき習慣」を黙認することは出来なかった。
奉賛会とも相談し、この事件を期に翌年から御神輿に乗ることを禁止し、徹底した。
しかし、その約束は守られず、その翌年(平成20年)、神社と奉賛会の連名で、本社神輿の宮神輿の渡御自体を中止する決定をした。
御神輿に乗ってはいけないことは、元々禁止されていたことだがお祭りに力を入れている特定の人々の反発もあり、暴力団や、地元商店の代表者方が怒鳴り込んでくることもあった。
警察からは、要警護対象者として指定を受けた。
祭りの当日はSPも付いた。
しかし、悪しき習慣を絶つために怯む訳にはいかない。
毅然として対応し、乗ってはいけない意味(御神輿は神様の乗り物である)を説明した。
翌年(平成21年)は、誰一人御神輿に乗ることもなく無事に終えることが出来た。
それからは、乗ろうとする人がいると、引き摺り下ろす人がでる程までに定着した。
◆夢は?
浅草神社と氏子地域との一体化の強化。
地域に対し、更に貢献可能な神社なので、神職として職員と共に学び成長し続け、氏子地域発展に寄与し、氏神様を祀る神社として磐石なる基盤を創る。
より良い神社にするため、「これで良い」はないと思っている。
ゴールはないからこそ、切磋琢磨し続ける。
それが目標であり、使命だと思っている。
浅草神社
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