グローバル・ビジネスマッチング・アドバイザー
経営コンサルタント
山本 雅暁氏
2012/8/3 15:00
講演会のテーマ
・中小企業のブランド構築・強化による売上拡大の実現
・新事業展開のための事業計画作成のポイント
・ビジネスのコラボレーションを成功させる方法
・ネットで入手できるデータを活用した効率的・
効果的なマーケティングリサーチ
・海外販路開拓のための代理店マネジメント、など
◆業種
経営コンサルタント
経営士
◆子供のころになりたかったものは?
パイロット
父が運輸省交通局(現国土交通省航空局)のパイロットだったため影響を受けた。
第二次世界大戦中、大日本帝国陸軍の戦闘機「隼」に乗っていたため、戦後運輸省交通局が作られた時、呼ばれたらしい。
運輸省交通局(現国土交通省航空局)のパイロットは、民間の航空機が輸入されて来たときの試乗やパイロットの資格試験などもする。
戦闘機に比べれば安全だが、命がけの職業だ。
そんな父の背中を見て憧れた。
しかし、パイロットになるには裸眼の視力に規定があった。
高校生の時、裸眼視力は、0.2。
これではパイロットになれない。
どうしようもないので諦め、進路を考えた。
数学が好きだったが物理や化学のセンスはないし、ものをつくることが好きだが技術的センスがない。
数学の好きな所は、必ず答えが出るというスッキリ感だ。
気持ちがいい。
結局、数学が好きなことと、ものづくりに憧れて大学は経営工学科を選んだ。
短気だったが、やりたいことをやらせてくれた父に感謝している。
大学院を卒業後、ものづくりに関われることを期待してソニー株式会社に入社。
企画室に配属されたが、商品企画ではなく市場調査の分析やデータ管理、経営管理などが主な仕事だった。
ものづくりがしたくて入社したのに・・・。
5年後、製造現場に行きたい!と転属願いを出した。
ソニーの商品別売上比率では、個人向けの商品が約90%を占める。
しかも、当時既に60%くらいが海外需要であり、製造も海外でされるものが多い。
国内で首都圏にある工場は、神奈川県の厚木事業所(工場)のみだった。
30歳から厚木で一人暮らしをしながら工場に通ったが、あまり製造や商品企画に直接携わることは出来ず、海外の販売子会社などで経営陣としてマーケティングや経営管理などを学んだ。
その後、事業戦略担当となり、新規事業立ち上げ、事業撤退、M&A(企業の合併と買収)、アライアンス(企業提携)などの業務に10年以上関わった。
この業務はとても面白く刺激的ではあるが、常に緊張を強いられており、ゲームを日常的に行っている感覚のようで、とても神経を使う。
ましてや生身の人間相手であるから、常に緊張状態が続く。
精神的にはボロボロなったこともある。
更に、年に15回程アメリカやヨーロッパに交渉にでかける時もあり、時差で身体がまいってしまう。
2005年頃から将来のことを見据え、会社の許可を得てアフター5に手弁当でNPO団体に入り、起業支援を始めた。
市場調査、事業計画作成など、起業・新規事業立ち上げの手伝い等に新鮮さと感動を感じた。
これが今の仕事のきっかけになっている。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
ブログ・コラムを書くこと
年間約300記事を5年間以上続けている。
ひとつの記事も5400文字くらいとかなり多めだ。
ベンチャー支援を始めた頃、起業したての社長に「日本経済新聞を読んだ方が良い」という話をすると、「忙しい、難しい」という答えが返って来た。
それならば、毎日重要を思われる記事をピックアップし、コメントを付けてブログに掲載するから、それを読んだらどうか?と提案した事が始まりだ。
今では、アクセス数も1日に2,000から2,500件程ある。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
伊藤 整(いとう せい)氏の著書
著者の作品は全て読んだ。
当初は小説家だったが、戦後多くのエッセイや評論などを書くようになった。
人について書かれた作品が多く、自分の生き方として共感し積極的に取り入れた。
自分には沢山嫌なところがあるが、もしかしたら良いところもあるかも知れないと思って人との接し方を学んだ。
色々な人と接していると、中には気のそぐわない相手にも出会う。
そんなことを思うときは、大概相手もそう思っているものだ。
だから感情を抑え、自分から相手に対して構えないことにしている。
一歩下がり、客観的に相手を観て感情的な論争は避ける。
そのためには、相手を絶対否定してはいけない。
だからといって、意見が違うときは同意もしない。
あなたの話を理解しましたという意味で「わかりました。」という。
ただし、外国人の場合は理解した時はI understood it、同意したときはI agreedと使い分けることができるが、日本語で「わかりました。」というと同意したと思われてしまうこともあるので気をつけている。
現在は「理解しました。」といっている。
言葉は大事、はしょってはいけない。
相手を理解してから、データなどの客観的な情報を元に意見を言うとコミュニケーションが上手くいく。
これを身に付けたお陰で、ソニー時代に手がけたM&Aやアライアンス等をスムーズに進めることが出来た。
今では、私の強みになっている。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「今が大切」
鉄鋼の父と呼ばれ、東京理科大学初代学長に就任した物理学者「本多光太郎」氏の言葉。
自分なりの解釈が3つある。
1、今は過去の積み重ね。
今をきちんと観ることは過去もきちんと観るということ。
2、今があるから明日、明後日に繋がる。
確実に対応している。
3、今やる。
ついつい後回しにしがちだが、先送りせず今すぐやる。
二人の息子にも伝えている。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
NPO団体と共に起業支援した会社の60%が、事業継続出来ていないことを知ったとき。
NPOで起業支援してから1年半たった頃、支援した社長宛にメールを送った。
ところがメールの返信は、ほぼ4割。
残りの6割のうちには、メールアドレスがなくなっていたところもあった。
電話番号を知っていたので、一件ずつ電話してみるとやはりメールの返信が無かった会社のほとんどが廃業していた。
しかも、元気に活動していたのは全体の1割程度。
理由を聞いてみると、集客・販路開拓が難しいという意見がほとんどだった。
この事実は、大手企業のサラリーマンだった私にとって大きな驚きだった。
事業は勢いで立ち上げてはいけない!
きちんと自社の“強み”を明確化・把握して、市場ニーズに合ったところで勝負しないと、販路開拓、売上の維持拡大は難しいだろう。
事業に新規性はあるのか!?他社との差別化は?市場の規模は?市場は国内か海外か?売り先は個人か法人か?
市場調査して、事前に把握しておかなければならないことは山ほどある。
事業計画の作成も必要になる。
今までの経験を活かして少しでも早く、事業継続できるよう支援したい。
そういう想いで、2007年に経営コンサルタントとして独立した。
独立は定年前だったので、退職して独立することを妻に相談すると、「いいじゃない、好きにやったら。」と言ってくれた。
理解を示してくれた妻には感謝している。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
ソニーに入社後、取締役についてニューヨーク出張に出かけた時。
英語が出来なくて、大恥をかいた。
商談中、取締役がある程度話をした後、「後は君、宜しく。」といきなり言われた。
宜しくと言われても、ビジネス英語どころか日常会話も危なっかしい状態だったのに商談を進めることなど到底出来ない。
ただニコニコと笑みを浮かべるしかなかった。
取締役からは、英語が出来て当たり前と思って私を連れて来たのに、全く役に立たないとは「お前!なにをしに来たんだ!」と一括された。
英語が大嫌いだった私も、これを機に必死で勉強した。
そのお陰で、読み書きが出来るようになり、今では込み入った商談もスムーズにこなせるようになった。
これも私の強みになっている。
◆夢は?
生涯現役!
自分が育てた会社が、中堅、大企業、東証一部上場と発展するよう育てたい。
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