とことん!「サッカークラブのオーナー」王



株式会社メディマックス

代表取締役CEO

立川 光昭氏

2012/6/14 1400


立川光昭

 

◆業種

プロモーション、広告業


◆子供のころになりたかったものは?

1、サッカー選手
子供の頃からサッカーが好きで、Jリーガーを目指した。

2、政治家
親族に政治家が多かったためか、政治家の答弁などをテレビで見るのが好きでカッコイイと思った。

3、社長
両親が自営業だったので影響を受けたのだと思う。

両親は厳しく教育熱心だったため、中学受験をし、山梨の実家から東京の私立中学に通った。

高校はサッカーがしたかったので、埼玉のサッカーの名門校に入学したが入学早々に両親の事業が傾き

都立高校への転校を余儀なくされた。

都立高校ではサッカーが思うように出来ず、サッカーに専念するため両親の反対を押しきって、高校を中退。

一人暮らしを始めて練習生としてプロを目指した。

ところが、仕事をしながらの一人暮らしは、サッカー三昧という訳には行かない。

親の有り難味が身にしみてわかった。

結局は練習生から契約にはいたらずサッカーそのものを引退した。

やめた時は、まさに「この世の終わり」だった。

生きる気力を失い、仕事もせず年上の女性に食べさせてもらっていた。

ところが1年たった頃、その女性に「もう貯金がなくなってしまったので、あなたを食べさせることが出来ない。」と言われた。

貯金を全て使わせてしまったことに対し、男として不甲斐なさを感じ本気で仕事をしようと思った。

ところが、学歴も経験も何もない自分を雇ってくれる会社は中々見つからない。

途方にくれて歩いていると、ゴミ集積所に置いてある一台のバイクに目が留まった。

昔は、バイクも粗大ゴミのような扱いがされていたので、捨てた人の住所、氏名が書いてあるシールが貼られていた。

そのバイクが欲しくなり、書かれた住所を頼りに持ち主を尋ねた。

バイクをきちんと捨ててくれるなら、とタダで貰う事が出来た。

もらったはいいが、自分は修理が出来ない。

なんで貰っちゃったんだろう!?と思いながらバイクを引きながら歩いていると声がかかった。

リサイクルショップの前を通りかかった時だ。

なんと、このバイクを売ってくれないか?と言うではないか!

タダで手に入れたバイクが8,000円で売れた。

それからは、ゴミ集積所を探して回った。

拾っては売ることを繰り返しているうちに15万円が貯まり、中古のトラックを購入。

トラックを使って集めると、バイクの量は1店のリサイクルショップだけでは処理出来ない程になった。

それならば!と思い、神奈川県津久井郡というところの豚小屋の跡地160坪を、破格値の月10万円で借りて自分で中古バイク店を開くことにした。

 

ところが、道なき道を行った先にある店舗だったので、お客さんは誰も来ない。

そこで考えた。

売り物のバイクでコンビニに乗り付け、値札を貼って駐車場に止める。

コンビニの中で本を立ち読みしていると、若者がバイクを見に集まって来る。

そこで出て行きチラシを配った。

そうしているうち、だんだんと口コミで遠方からもお客さんが来てくれる様になった。

サッカーをやっていたときの関係で、ジャニーズやウルフルズに知り合いがいたので、お店がメディアにも露出されるようになった。

テレビ番組の「SMAP × SMAP」にも、うちのバイクが登場したことがある。

そんなことをブログに書くと、更にお客さんが集まって来た。

急成長し、3年で11店舗にまでなった。

サッカー選手転じて、社長になった。

11店舗にもなると社員も増える。

しかし、自分は企業に勤めた経験がなかったので、交通費や経費の精算のやり方が全くわからない。

これは一度企業に就職して、基礎的なことを学んだ方が良いと考えた。
会社を全て売却して、かねてからヘッドハンティングされていたユダヤ系の商社に勤めることにした。

何を取り扱ってもよい結果主義の会社だ。

入社してみると、日常会話も会議も書類も全て英語だった。

英語など殆どわからない。

わからないながら会議で、アフリカから木材を輸入するプレゼンのビデオを見る機会があった。

そのビデオを見ていたら、なんと!アフリカには日本製のビンテージものバイクがあちこちにあるではないか!

日本だったら、一台数百万で売れる品物だ!

アフリカの気象条件は乾燥しているので、バイクに錆がなく保存状態がかなり良い。

そのバイクを2、3万円で仕入れて中国にもっていき、部品を綺麗に磨いて組み立て直した。

それを日本のオークションで売ることで、会社には年間、数億円の利益をもたらす事が出来た。

そのため、1年で専務になったが、会社が日本法人を撤退するというのである。

本国に行くか、日本で再独立をするかの選択で中古バイク業で再度起業し、今度は「ITとバイクの融合」ということで上場に向けて歩みだした。


◆毎日欠かさずしていることはありますか?

一日に10分から20分は、必ずサッカー関係のものを見たり読んだりする。

月の三分の一は海外に居る事が多いが、海外にいてもサッカー情報の獲得は欠かさない。

海外で活躍している、日本人サッカー選手に会いに行くこともよくある。


◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

堀江貴文氏

私の人生に大きな影響を与えたことは、「人の評価を気にするな。」ということである。

自分のやりたいことよりも、人に良く見られたい方を優先したい人は別だが、固定観念を捨てろという。

無意識に人の評価を優先するあまり、自分の本当にやりたいことが達成できなくなってしまうことがあるからだ。

この話を聞いたとき、驚き、開眼した。

堀江氏と出会った頃は、中古バイク店が11店舗になり、この先のことを考えていた頃だ。

このまま100店舗、200店舗を目指すのか否か?色々考えた。


◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

「目的はなに?」

どういう結果を出したいのか?常に自分に問うている。

コツコツ努力をして積み上げていく作業も好きだが、積み上げていくうちに努力や合理化などの言葉を掲げて、壁にぶつかると無意識に怠け(手抜きや逃げ、後回しにする等)ている時がある。

真っ直ぐ進む!ということは大変なことだ。

だから正当な理由を付け怠けたくなる。

これは、壁ではなく絶好調のときにも訪れる。

最初のうちは、怠けていることを自分で自覚していたとしても、そのうち何らかの正当な理由をつけ、なまけていることすらわからなくなる。

一見面倒くさいと思えることでも、逃げ道をふさぎ真っ直ぐ進むことに取り組んでいる。


◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

5年前(平成19年頃)31歳の時

ライブドアショックのあおりを受けて、上場直前で計画に終止符が打たれた。

ショックも受けたが、本来の目的を思い出し方向性を変えた。

上場準備には、監査法人や上場コンサルなどの経営以外の経費が膨大にかかっていた。

その分が無くなったこともあり、これを機に仕事で縁のあった福島県郡山市にサッカークラブチームを創ることにした。

チーム名は「バリエンテ郡山」、総監督にはなんと!FIFA(国際サッカー連盟)年間最優秀選手賞を獲得したジョージ・ウェア氏をむかい入れる事が出来た。

しかも無料で!

ウエア氏は、ユダヤ系の会社に勤めていたときの友人だったから出来たことだ。

サッカー協会でも呼ぶのは難しいような人物が、監督になったサッカークラブ「バリエンテ郡山」は、一躍有名になりマスコミで話題になった。

メディアにたくさん出たお陰でスポンサー企業は110社にも及び、私はクラブチーム運営会社の社長に就任した。

上場を断念していなかったら、この時期にサッカークラブチームを創設することは出来なかっただろう。


◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

人、もの、金、全てを失ったとき

人が観えた。

サッカークラブが出来た1年後に、運営会社の副社長が淫行で逮捕された。

更に、選手の不祥事も発覚、私と副社長は辞任することにした。

サッカークラブを辞任したとたん、周りの人が変わった。

結構な人脈があったのに、皆冷たい態度に変わり連絡のつかなくなった人もいる。

商業取引をしていた友人の中には、協力するどころか「サッカークラブの不祥事で、風評被害を理由に未払い金を支払わない。」と言い出した人もいる。

更に、ほとんど関係無いのに話を聞きつけて金銭を請求してくる人もいた。

人が弱ると、弱みに付け込んで来る人が山といることを経験した。

11社あった会社を全て清算し、借金までして支払い請求など全てを受け入れた。

人間不信に陥り、全てを失った時、自らを振り返り考えた。

今まで何をして儲けて来たのだろうか?

そうだ!メディアに露出することで成功してきたのだ。

バイクのときのSMAP×SMAP・サッカーのときのたくさんのメディアなど人がやりたくても出来なくて、自分には出来ること!

メディアに露出させることだ。

それに気がつき、3年前に今の会社を設立。

その年の売り上げは11億円に及んだ。

更に、その翌年には19億円!トントンと立ち直ることができた。

今は、行列請負人と呼ばれている。

これも「目的は何?」と自問できたお陰だろう。

調子に乗った絶好調の若い時、タレントや有名社長と一緒にいることに優越感を覚え一緒にいる人達の力を自分の力のように感じていたときもあった。

しかし、この問題があったことで大きな勘違いだということに気づいた。

今では、お付き合いで飲みに行くことはない。


◆夢は?

サッカークラブのオーナーになりたい!

近くでサッカーが見たい!

この目的があったから、道を見失わないでいられた。

何があっても、常にここに戻って来られる。

逃げても、サッカークラブのオーナーから遠のくだけだ。

そう思うと前向きな発想が生まれる。

一口にサッカークラブのオーナーといっても、大なり小なりで、海外の大きなサッカークラブともなれば破格の値段だ。

特に規模は限定していない。

そこが、目的を見失わないでいられた理由の一つだと思う。

あまりに壮大すぎた目標に限定していたら、「まあいいか、もう無理だ。」等と諦めてしまったかも知れない。

「サッカークラブのオーナー」ということを外さなければ、その時々でがんばれば手が届くと思える規模に目標を設定できた。

夢のためにも、経営者としてもっともっと事業を発展させたい!

株式会社メディマックス
http://medimax.co.jp/


立川光昭公式ブログ
http://ameblo.jp/tatimitu/


立川 光昭著
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