ロンドンオリンピック出場
ウエルター級ボクシング選手
自衛隊 体育学校
鈴木 康弘氏
2012/6/5 14:30
◆業種
ロンドンオリンピック出場
ボクシング選手
◆子供のころになりたかったものは?
世界チャンピオン!
小学校4年生の時からボクシングを始めた。
きっかけは「いじめ」だ。
同級生に集団で殴られた。
初めての事で驚いたが、その瞬間「二度とこんな目に会いたくない!」と思った。
早速、両親とも相談して近くのボクシングジムに通うことにした。
最初は、強くなれれば何でも良かった。
たまたま近所にボクシングジムがあったから選んだだけだ。
楽しくて、夢中になった。
ところが中学生になった時、家が引っ越してジムが遠く通えなくなってしまった。
そのためバスケット部に所属したが、高校はボクシング部のある学校を選んだ。
ボクシングを始めた時から、ずっと世界チャンピオンを目指している。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
練習
毎日5時間、練習している。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
亀海 喜寛(かめがい よしひろ)先輩
高校ボクシング部の先輩だ。
5歳年上だが、OBとして夏休みに2回程練習をみに来て下さった。
先輩を間近に見て、「あーこんなに強くなれるんだ!」と思った。
カッコイイ!と憧れ、「自分も頑張れば先輩のように成れる!」そう思わせて下さった方だ。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「夢をあきらめない事」
自分の経験から得た、好きな言葉だ。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
自衛隊 体育学校に入ったこと
大学3年生の頃、スカウトされ入学を決めていた。
実際に入ってみると、環境が整っていて本当に驚いた。
体育学校は技術指導や健康管理などが、各課や班によって専門的に管理されている。
減量のための食事も、栄養課が指導してくれるし、よい筋肉を作るためのマッサージ班まで用意されている。
大学生までは、整体など自分で探さなければならなかったし、お金もかかるのでそうそう行かれない。
減量だって自分で何とかしなければならなかった。
今は本当に困ることがない。
ここに入らなかったら今の自分はないだろう。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
2回ある。
1回目:大学に入って直ぐ
高校時代に、3冠(インターハイ、国体、高校総体、全て優勝)をとっていた自分は、鼻高々と天狗になっていた。
期待の新人として入学したのに、大学のレベルは高校とは全く違い、毎日先輩にボコボコにされた。
更に、出場する試合は全て1回戦負け。
天狗の鼻をへし折られ、プライドもズタズタになった。
正直、やめたいと思った。
そんな時、「みんなそうなんだよ!」と鈴木大輔コーチが勇気付けてくれた。
更に「お前には期待しているから!」と言ってくれた。
この一言で頑張れた。
そのお陰で今があると感謝している。
2回目:自衛隊 体育学校に入って直ぐ
5月15日の練習中に怪我をしてしまった。
足を滑らせて転んだとき、ガラスが割れ、破片が右腕に突き刺さった。
動脈と神経を切断してしまうという大怪我。
救急車が来るまで、止血したタオルが3枚とも血でビショビショになった。
1ヶ月半入院し、1年間の活動停止となった。
この時点、オリンピックは無理と思った。
挫折を感じ、完全に諦めた。
落ち込みも激しく、「もうやめた方がいいんじゃないか!?」と思った。
しかし、コーチや監督、先輩も後輩も「オリンピックだけが夢じゃない!楽しく続けよう!」と勇気付けてくれた。
半年たった頃から本格的に練習を始めたが、あまり強く練習してしまうと、また切れてしまうのではないかという恐怖感にさいなまれた。
恐怖感と戦いながら、夢に向かって練習をし続けた。
そして去年2011年7月インドネシアでの復帰戦で銀メダルを獲得。
完全復帰!
物凄い自信となり、オリンピックが手の届く存在になった瞬間だ。
その後、2011年10月に行われた世界選手権でベスト10入りをはたし、オリンピックの切符を手にした。
今までの人生で、こんなに良い一年はない。
夢を諦めなくて良かった!!
◆夢は?
ロンドンオリンピックでメダルを獲得する!
今はそれしか考えられない。
自衛隊 体育学校
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