元海上自衛官「思いやりの百花繚乱」王



株式会社ケイフローリスト

代表取締役社長

栗原 浩之氏

2012/5/2 1500


栗原浩之

 

◆業種

生花小売り業


◆子供のころになりたかったものは?

刑事

子供のころに放映されていた「太陽にほえろ」というテレビ番組が好きで、松田優作が演じる「ジーパン刑事」に憧れた。


◆毎日欠かさずしていることはありますか?

アサイベリーのジュースを朝・夕飲む

健康には気を遣っている。


◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?



創業者である父は、青山生花市場の睦会、会長でもあった。

幼い頃から、リーダーとしての父の姿を間近で見て憧れた。

それでいて家では優しかった。

母も寛容で、16歳からの寮生活も心配こそすれ最終的に反対はしなかった。

ただし、礼儀や食生活には厳しく、駄菓子などを禁じた。

「健康オタク」()の傾向にあるのは、その母の影響かと思う。

両親ともに、「あーしろ、こーしろ」ということは一切なく、自由に育ててくれたことを感謝している。


◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

「思いやり」

今の世の中は、経済も人々の精神も不安定な状態にある。

うつ病に加えて、最近では「新型うつ病」というのが流行っているという。

 

新型うつ病は、自分の楽しいと思うことはできるのに、いざ会社に出勤しようとすると動悸や過呼吸の症状がでたりするそうだ。

また、うまくいかないことが起きると、従来のうつ病は自虐的になるのに対し、新型うつ病は他人のせいにする傾向が強いらしい。

怒られることや、競争して勝つことに弱く、結果、会社に行くのが億劫な人が増えているという。

一昔前なら「なまけ病」とされるところだ。

自分のことばかりを優先し、他人のせいにばかりしてきた結果なのかも知れない。

これでは、世の中が上手く行くのは難しい。

「思いやりの心」を持ち合えば、解決できることなのではないだろうか?

仏教の教えに「自利利他(じりりた)」というのがある。

自分の利益より、まづ、他人の利益を優先するとこと。

双方が良くなれば、他人のせいにすることもなくなるだろう。

また、「情けは人の為ならず・・・」ということわざ、その昔、「情けをかけることは、その人のためにならない。」という間違った解釈をしていた。

しかし、本来は、「因果応報」人に情けをかけたことは、巡り巡って自分に返ってくるという意味だったのだ。

40代になって、たまに、ある寺の住職から説法を聴聞するようになった。


「善因善果」や「悪因悪果」という言葉もあるそうだ。

全て原因があって結果がある。

良い事をすれば良い事が返ってくるし、悪いことをすれば悪いことが返ってくる。

これが、お釈迦様の教え、

良くも悪くも自分次第、他人のせいではない。

お互い「思いやりの心」をもって接すれば、世の中は今より良くなると思う。

だから「思いやり」という言葉を大切にしている。


◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

中学を卒業して、少年自衛官になったとき


刑事になりたかったこともあり、小学校からボーイスカウトに所属していた。

ボーイスカウトの先輩が、広島にある少年自衛官に入隊した事に憧れ、自分も入隊を決意した。

ところが、入隊してみると20人部屋の全寮制で、毎朝6時起床。

ハードなスケジュールが、分刻みでビッシリ詰まっていた。

クラブ活動も必須、そこで中学から続けていた剣道を選んだ。

毎日の稽古はハードで、指が曲らなくなる程打たれる事も多い。


また、クラブ活動以外の日常生活でも、理不尽に、先輩から心外な指導を受けた事もある。


夏は毎日、海で2時間半の水泳訓練があり、その締めくくりに遠泳大会が行われる。


8:30から16:30まで海に浸かったまま、昼食は船のヘリに片手で掴まりながら、もう片方の手でおにぎりを食べる。

7マイル(15キロ)の過酷な遠泳だ。

冬は、毎日300メートルの山を走って登る訓練がある。

その締めくくりには、宮島の弥山(みせん)という標高500メートルを超える山を一気に駆け上る競技が行われた。

更に、テレビは娯楽室で一日30分と決まっていた。

一学年80名に一台だから、もちろん好きな番組は選べない。

しかも30分とあって、当時流行っていた「ザ・ベストテン」という歌番組を見ても、時間切れで上位の曲は何だかわからなかった。

あまりの辛さに、やめて帰ろうと思った事もあったが、

東京を出るとき、クラスメートから担任の先生まで、凄い期待をされ、出発を応援してくれた手前、絶対に辞めて帰る訳にはいかなかった。


とにかく、この4年間を気合と根性でやり遂げた。


携帯電話やパソコンが普及していない昭和50年代のことだ。

友達や両親との交流は、殆どが手紙。

中でも、父がよく手紙をくれた。

父としては、家業を継いでもらいたいと思っていたに違いないのだが、そんなことはおくびにも出さない内容だった。

特に仕事の話しが多く、生花の相場や市場での出来事、今はブライダルシーズンで忙しい等、いつも近況報告をしてくれた。

一言も「帰って来て、手伝ってほしい」とは書いていないが、父の手紙を見るたびにヒシヒシと伝わってくるものがあった。

父を助けたい。

この間に、父の事業を継ぐ事を決意した。

海上自衛官として活躍した期間は短かったが、少年自衛間の経験は「絶対に諦めない精神」を培うことができた。


◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

今でも、 日々が問題・障害の連続

しかし、どんな困難なことが起こっても、少年自衛官の頃を思うと、「あれ以上の辛い事はない。」と何でも乗り越えられる。

海上自衛隊の中枢では、少年自衛官の卒業生が数多く活躍しているが

2011年で廃校となってしまったことが残念でならない。


◆夢は?

結婚式全体のプロデュース

今まで、結婚式に花を提供することがメインだったが、結婚式を丸ごとプロデュースしたいと考えるようになった。

「結婚式をして、良かった!」と思う人達を少しでも
増やしたいと思う。

来年のスタートに向けて準備中だ。

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