池川クリニック
院長
池川 明 氏
2012/5/7 14:00
◆業種
医学博士
産婦人科医
◆子供のころになりたかったものは?
特になかったが、自然と医師を志した。
小学校に入る時、胸躍らせるどころか、ランドセルが嫌だった。
初めてのことが苦手で、それまで慣れ親しんだ幼稚園を離れたくなかったのだ。
あまりにボーッとしている子供だったので、「この子は白痴かもしれない。」といわれて検査したことがあるほどだ。
幸い、IQはまともだった。
当時は、医学部を受験することが流行っていて、通っていた中堅の都立高校からも医学部に進学したものも多かった。
医学部に進学してみると、医者の子供は医師にはなりたがらないものが結構いる。
突然「俺は花屋になる!」といって医者にならなかった同級生もいた。
その時、わかったことがある。
人は意外とあまのじゃくだということ。
私の父は、東大の医師、日赤の産科部長を経て産婦人科医を開業したが、一度も「医者になれ」と私に言ったことがない。
医者の息子などは、幼い頃から「医者になれ」と言われて育ったものが多く、医学部に入ると安心するのか、自分の進路を自分で考え始めるようだ。
私の経験から、医者にしたければ「医者になれ」と言わないほうが良いのだと思う。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
ラジオ体操
妻からの提案で、Youtubeのラジオ体操を見ながら、第二体操までしっかりする。
妻は、第二体操の終わりにおにいさんが「今日も一日元気にがんばりましょう!」といってくれるのが、励みになると気に入っている。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
田口教育研究所
代表
田口 正敏氏
大学院を卒業後、科学の分野で長く活動し、発達障害児などの教育を始めた人。
現在、首都大学東京の客員研究員で、発達障害・不登校のためのフリースクールを網羅し
た『新しい学びの場』を毎年刊行している。
1997年10月に出会った。
医療の向上について考えていた頃だ。
お産と教育は、深い関わりがあるという。
この先生と出会い、影響を受けたお陰で、胎内記憶と出会うことが出来たと思っている。
実際、戦後の昭和23年、25人に一人が死産だったため、GHQから母子保健要項に関して、衛生面から自然分娩を避け、施設(産院、病院等)でのお産をするよう通達があった。
それは同時に、出産直後から新生児室と病室に母子が分かれることを意味する。
更に昭和39年、母子手帳と一緒に小冊子が配られた。
その小冊子には「赤ちゃんの幸せのために、添い寝、抱っこはやめましょう。」と書いてある。
そして、1990年から虐待の統計が始まった。
当たり前だが、虐待が多くなってきたから開始されたことだ。
ネグレット(無視)は虐待であり、暴力より悪い。
過酷なナチの強制収用所では、失敗をして暴力を振るわれるより、一べつされて無視されることの方が屈辱だったという程だ。
統計でも、産まれて2日以内に12時間以上母親と触れ合った子供は虐待の発生率が低く、12時間以下の子供は虐待の発生率が高いという結果がある。
お母さんとの触れ合いが少ない子供が、お母さんになっても接し方がわからなかったのだろう。
結局、お産と育児、そして教育には、深い関わりがあることを知った。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「恕(じょ)」
思いやるという意味
澤谷 廣先生から教わった言葉
大学時代より、日本の神話に心理学を取り入れて研究。
卒業後は、主に家族関係のカウンセリングや講演活動をしている方だ。
育児には思いやりが物凄く大切。
胎児や子供を思いやる「恕」の言葉を大切にしている。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
胎内記憶に出会った時
開業して7、8年した頃、ある助産師さんと出会った。
その助産師さんがする、自然出産は大学病院では見たことがないものだった。
陣痛が始まって頭が出ると、大学病院では肩までいっきに引き上げてしまう。
だが助産師さんは、頭が出た後、次の陣痛を待つ。
確かに大学でも、「頭が出れば赤ちゃんは呼吸が出来るようになる。」と教えられた。
更に、取り上げた後も、鼻水や口中を吸引しない。
助産師さん曰く、胸を押し出されるように産まれてくるので、待っていれば鼻水や汚物は自然と出てくる。
出てきたものを拭うだけで良いのだそうだ。
これも大学の講義では確かに習った。
5年生の時、車中で突然分娩が始まったらどうするか?という講義の時だ。
「慌てる事はない、ハンカチで拭うだけで良い。」と教わった。
しかし、大学病院でそのような助産師の出産を、一度も見たことが無い。
また、大学病院で癌の患者さんを受け持ったことがある。
当時、癌の告知はタブーとされていた時代だ。
癌と告知すると、もがき苦しんで死ぬと言われていたからだ。
しかし、ご主人は病名と余命を告知してしまった。
申し送りには、「冷たいご主人で・・・」と書かれてある。
ところが…実際その患者さんは亡くなる時、非常に穏やかで「先生ありがとうございます。」とまで言われた。
また、大学病院内でも治療法や考え方が先生によって違う。
しかし、患者さんは全く違う治療法を使ったとしても、治る人は治ってしまう。
人間には、自分で治す力が備わっていることが改めてわかった。
これらの経験から、大学で習ったことが全てではないことを知った。
自然出産の素晴らしさを知り、取り入れているうちに色々な人との出会いが始まった。
胎児と会話、赤ちゃんリーディングが出来る南山みどりさんもその一人。
よく、胎児に話しかけると良いといわれているが、実際はお母さんから胎児への要求が多いという。
「赤ちゃんがどういう気持ちかでいるのか?」を考えながら、話しかけると良い。
赤ちゃんリーディングを続けるうち、赤ちゃんは皆、誰か人の役に立つために産まれてくることがわかった。
たとえそれが流産や死産でもだ。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
人生は問題や障害だらけだが、挫折は良いことと経験から知った。
色々な提案すると、ある人から必ず否定された時期があった。
その人の存在意義を聞いたときに、「その人とは仲良しなんですね。」と言われたことがあった。
その瞬間は、「仲良しな訳がないだろう」と思ったが、話を聞いているうちにいいやつかも知れないと思えてきた。
なぜなら、人に嫌なことを言うのは楽しいことではないから。
その人は、本来の道から外れていることを修正するための生まれる前の約束だという。
だから嫌なことをわざわざ引き受けてくれて演じているのだから、仲良しだということだ。
確かに、提案を悉く否定されたお陰で、胎内記憶にたどり着いたようなものだ。
そう思っただけで、次の会議からその人は嫌なことを言わなくなった。
こちらが理解したおかげで、その人の嫌な役目が終わったということらしい。
自分の意識一つで、変わることを知った。
◆夢は?
「赤ちゃんに心がある」ことを知ってお産をしてほしい。
胎児に心があることを知って対話すると、自分で考えることができる子供になる。
自分で考えることができるということは、人生でも何でも「やらされているのではなく、やりたい」に変わる。
やりたいは、いきいきと楽しい生甲斐になる。
今の義務教育は、自分で考えることをあまりさせない。
自分で考える子供を作るためにも、胎児の時代からお母さんや周囲の理解が必要だ。
そういう意識が大切、心に聞き、心を育てる。
人は誰しも褒められたい。
胎児の時から尊重された子供は、心が育つ。
このことを知った人が世界中で2割を超えたとき、世の中は変わるだろう。
一人ひとりが大切な存在。
ジグソーパズルは一つでも無ければ完成しない。
「そのパズル一つひとつがあなたです!」
池川クリニック
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