光の中を生きる!ファイティング王



エイチズスタイルボクシングジム

代表

吉野 弘幸氏

2011/5/10 1300


吉野弘幸

 

◆業種

ボクシングジム経営、拳闘家


◆子供のころになりたかったものは?

強い男

とにかく強い人間になりたかった。

両親と弟の4人暮らしで、自分が幼少の頃から父は循環器系の病気で入退院を繰り返していた。

そのため母が、昼は運送会社の事務員、夜はちゃんこ料理屋で働いて一家の生活を支えた。

「お父さんはきっとよくなるから」ただただ、そう信じて今を必死に生きていくしかなかった。

しかしそんな中、日を追うごとに父の身体は小さくなって、自分が小学校6年生の時に他界。

それまで、人が亡くなることに実感の持てなかった幼い自分が、初めて感じた深い悲しみ。

自分の人生において、初めて生きるという事の意味について考えさせられた出来事でもあった。

しかし、現実問題として、父の入院治療費や生活費の借金が残っていた。

几帳面で神経質だった父とは正反対の性格で、ズボラで無頓着な母は、闇金融からも借金をしていたのだ。

そのため返済が少しでも滞ると“金返せ!!”と書かれたビラが家の周りのあちらこちらに貼られ、家には引っ切り無しに『てめぇ、ただじゃおかないぞ!!』と脅しの電話がかかって来た。

相手が、子供であろうとお構いなしに怒鳴りつけてくる。

そう、借りたモノを返すのは当たり前のこと。

しかし、幼いながらも「なんでこんな、人に見下されて生きなきゃならないんだろう…」と悔しい思いが込み上げてきた。

「こんな毎日がずっと続くのなら、死んだ方がマシだ。だけどオレはまだ死にたくない。絶対に強くなる!!」

強い男=ボクシングのチャンピオン

生前、父が好きでよく見ていたボクシングの世界戦を思い出した。

「世界チャンピオンになったら、きっとこんな惨めな思いはしないで済むんだろうな…だったらオレは、何が何でも世界チャンピオンになってやる!!」

中学3年生のとき、その決意は更に強固なものになった。

それは母が、借金の連帯保証人になっていたパート先の「ちゃんこ料理屋」の主人が借金を返さず姿を晦まし、その借金を肩代わりする羽目になったためだ。

家の借金はさらに膨らみ、ただちに家を売り払って出ていかなくてはならないことになった。

住む所が無くなった家族3人は、母の務める運送会社に古いアパートの1室を借りてもらい暮すことになった。

自分は、高校進学をあきらめ、中学卒業後すぐにその運送会社で助手として働いた。

そしてジムは、自宅から電車一本で行かれる所をボクシング雑誌に載っていた広告を見て決めた。

ところが運送会社での仕事は勤務時間が長く、ジムに入門するも練習に通う時間が全く取れず、これでは

いつまで経ってもボクサーにはなれないと思った。

自立するためにもこのアパートを出て、近くにあった伯父が経営するアパートの1室を借り、新たな仕事も自宅とジムの間(同じ沿線)で見つけることにした。

最初は、中央区京橋(宝町)、続いて銀座(東銀座)のラーメン屋で出前持ちとして働くことになった。

出前の仕事は片手でオカモチ、もう一方の手で自転車のハンドルを握ることで、自然と腕と肩、そして

ギアのない自転車のため足も鍛えられた。

仕事も敢えてトレーニングとなる仕事を選んだ。

また、ジムに入会する時も「俺は世界チャンピオンになる!」と宣言し、当時の会長も笑顔で迎え入れてくれた。

しかし、仕事の合間に通う時間帯にはトレーナーがいないため、練習は殆ど自己流だった。

そのため、左利きなのに右利きの構え(オーソドックス)のボクシングスタイルになってしまった。

だけど、それも結果的には良かった。

得意のパンチが相手の目の前にあることは、(オーソドックススタイルは左手が前)対戦相手としたら嫌なものだし、自分としても、自在に動かせる利き手が前にあることでペースを掴みやすい。

この上ない最高のスタイルになった。



◆毎日欠かさずしていることはありますか?

思ってくれている人への感謝と

今日会った人を笑顔にすること



◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

それは、今まで本当にたくさんの人がいる。

そして、今でもずっと変わらぬ思いで支えてくれる人がいる…。

だから、自分も何があろうと変わってはいけないと思っている。



◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

1
、「これからお前が父ちゃんの代わりにならなきゃならない。」

父が亡くなった時、周りの大人の人たちに言われた言葉で、小学校6年生の子供ながらも本気でそうなろうと思った。

早いうちから自立の意識を持たせてくれた言葉。


2
、「継続は力なり」

中学校の校長先生が、いつも言っていた言葉。

試合に何度も応援に駆けつけてくれた先生だ。



3
LIVININ THE LIGHT

イギリスの女性RBシンガー「キャロン・ウイーラー」のナンバー。

特に歌詞の「良心を信じ 見せかけに惑わされる事なく 光の中を生きようと」のフレーズは自分にとってもみんなに声を大にして伝えたい言葉。

とにかく、自分もお天道様に恥じない人生を…出来る限り貫きたいと思っている。



◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

やはり父が亡くなったとき。

本当に色々な面で強くなれたと思う。



◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

自分はいつも挫折からのスタートだった。

17歳でプロデビューしたが、最初の試合は1ラウンド55秒でKO負け。

続く2戦目も2ラウンド1分55秒でKO負け。

普通だったらみんな辞めてしまうだろう。

しかし自分の人生、ここで諦めたら一体なにが残るんだ…人生は一度しかない。

人生最期のときに悔いが残らぬよう、今やれるだけのことをしようと思っている。



◆夢は?

生涯現役!

2005年3月21日に、現在のジムをオープンさせたが引退した訳ではない。

JBCルール変更に伴い、ボクサーライセンスは失効されてしまったが、何時如何なるときでもリングで闘う覚悟は出来ている。

何よりボクシングは自分が生きた証。

とにかく、リングはこの命を実感できる場所だから…。



H's STYLE BOXING GYM
(エイチズ スタイル ボクシングジム)
http://www.hsbg.net/index.html


22代東洋太平洋ウェルター級チャンピオン
34代日本ウェルター級チャンピオン
25代日本スーパーウェルター級チャンピオン