「日々これ新た!」な感動創造!!王



元駐バーレーン特命全権大使 元道路公団総裁

早稲田大学 特命教授

伊藤忠商事 理事

近藤剛氏

2011/3/8 1600


近藤剛

 

◆業種

 

外交官 政治家 大学教授 会社役員

 

 

◆子供のころになりたかったものは?

 

ミステリー作家。

 

10歳頃から、江戸川乱歩やコナン・ドイル、モリス・ルブランなどを好んで読んだ。

 

理論的で実現可能だが、まず普通の人では絶対に考えつかないトリック。

 

神業や奇跡ではない、科学的根拠が必要だ。

 

しかも感動的でなければいけない。

 

人を感動させるには、情緒的な発想も必要。

 

これが出来る、ミステリー作家は凄い!

 

素晴しいミステリー小説の条件は、

1、独創性 

2、論理的 

3、科学的に実現可能、 

 

プラス感動的でなければならない。

 

読む側はトリックの意外性を求めているのだが、そこには精神的な感動も不可欠だ。

 

また、その中にメッセージが込められてないと本当に良いミステリーとは言えないだろう。

 

これは、生きる上で全てに通じる。

 

とにかく、 面白いミステリーが書ける「ミステリー作家」になりたいと思った。

 

 

◆毎日欠かさずしていることはありますか?

 

朝起きた瞬間、

 

毎日、「自分の人生の出発点だ!」と思って起きる。

 

このことに気付かせてくれた上司がいた。

 

一日の終わりに、その日の日程表を毎日破り捨てて帰るその上司の姿を見て、漢文で習った「まことに日に新たに・・・」を思い出した。

 

「なるほど、考えて見れば本当にそうだな。」と思った。

 

そう考えると、上手く行ったことがあっても得意になることもないし、上手くいかない事があってもクヨクヨもしない。

 

特に、説明された訳ではない。

 

毎日、事務所を出る直前に「さあ、これで終わりだ。」といって日程表を破り捨てる上司の姿から学んだ。

 

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

本は、ミステリー小説、人物は、物凄く人に恵まれて来たお陰でたくさんいるが、強いて言えば三人、それと母。

 

本:

 

ミステリー小説は、「考える」、「発想する」ということを日常の生活でも自然に出来るキッカケになった。

 

人物一人目:パリ大学のモリス・デュベルジェ教授

 

この先生の授業が受けたくてフランスに留学した。

 

自分の単位に関わる修士課程の授業でなくても、先生の講義が聞きたくて学部の授業にも出かけていった。

 

先生の学説や、時折ルモンド紙に寄稿される評論などにも心酔していたので、まるで先生の「おっかけ」のようだった。

 

先生の専門は政治学だが、学びたいというより、先生の話を直接聞く機会を逃したくなかった。

 

そんなある日、学部での授業中に騒ぎ出す学生たちがいた(その頃はちょうど「五月革命」の直前だった)。

 

すると先生は、真っ赤な顔をしながら怒った。

 

先生が怒ったところを見たのは、これが最初で最後だ。

 

「君たちは成人だろう(フランスでは18歳で成人)!成人ならば自分で物事を判断しなければいけない。今のような行動は本当に自分で正しいと判断した結果か。」

 

「正しいと判断をしたのなら、君たち自身でやり遂げなければいけない。」

 

「だが、君たちがやったことについては、残念ながら私も、君たちの親も、君たちの仲間も責任を取らないし、取れない。それをわきまえての行動か。」

 

言い終わると、何事もなかったかのように授業を続けた。

 

騒いでいた学生たちも、一瞬にして「シーン」となった。

 

「目からウロコ」とはこのことだと思った。

 

生きていくこととは何かを教えてもらった気がした。

 

このことは、

1、 自主判断

2、 自助努力

3、 自己責任

と整理して、「三自の精神」と自分で名づけて今でも座右の銘にしている。

 

これをわきまえていると、いつ何が起きても何の迷いもない。

 

 

人物二人目:瀬島龍三氏(伊藤忠商事時代の上司)

 

毎日が「自分の人生の出発点だ!」と背中で教えてくれた上司でもある。

 

私は、瀬島さんが伊藤忠商事の専務だったころに瀬島さんの秘書をしていた。

 

瀬島さんは、大変厳しい方だったが、なぜか私は怒られた記憶があまりない。

 

なんとなく、瀬島さんが「今、何を考えているのか」がわかったのだ(ミステリー小説で鍛えられていたからか?)。

 

その瀬島さんが私を含め多くの人に言っていた言葉がある。

 

「着眼大局 着手小局(ちゃくがんたいきょく ちゃくしゅしょうきょく)」、荀子の言葉だ。

 

瀬島氏は、よく部下に「雑な仕事はダメだ!」と怒っていた。

 

「細かいところはどうでもいい。」ということは絶対に許さない。

 

全体を大きく見て仕事に取り組むが、細かいことにもしっかりと心を配る。

 

「神は細部に宿りたもう」ことを教えてくれた。

 

私にとり、「着眼大局 着手小局」は「三自の精神」と並ぶ大切な座右の銘となった。

 

人物三人目:小泉純一郎氏

 

私は59歳の時、政界に入る決意をした。

 

時の総理大臣だった小泉さんとは、行財政改革や郵政民営化など主張が一緒だったこともあり、意気投合したし、公私にわたりお世話になった。

 

ある日の雑談の中で、小泉さんはびっくりすることを言われた。

 

「夢みのりがたく 敵はあまたなりとも われ勇みてゆかん」、ミュージカル、「ラ・マンチャの男」の中でドン=キホーテが歌う「見果てぬ夢」の一節だ。

 

だから、小泉さんは「ドン=キホーテが大好きだ」とおっしゃたのである。

 

「郵政民営化」はこれを地で行ったにすぎなかったのだ。

 

この意気込みがあれば、人生恐いものなし!

 

「夢みのりがたく 敵はあまたなりとも われ勇みてゆかん」、これも私にとり大切な座右の銘となった。

 

母:

 

私は5人兄弟の末っ子で、父は3歳の時に戦死した。

 

母は、裁縫の内職をしながら、私たち5人兄弟を育ててくれた。

 

その母が、いつも父の日常の話を聞かせてくれていたので、父がいなくてさびしいと思ったことがなかった。

 

会った事もない父だが、まるで単身赴任しているかのようだった。

 

母はいつもやさしかった。

 

そして強かった。

 

そんな母のお陰で、今の私がある。

 

 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

1、「三自の精神」

2、「着眼大局 着手小局」

3、「夢みのりがたく 敵はあまたなりとも われ勇みてゆかん」

 

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

フランス留学(19678年)と選挙(2001年)。

 

共に、自分の世界を大きく拡げてくれた。

 

 

◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

人生は失敗や挫折の連続。

 

失敗や挫折は「チャレンジの証」。

 

意欲をもった人ほど失敗や挫折の連続なのだ。

 

失敗や挫折をしたくなければ、何もやらなければそれでよい。

 

しかし、本当にそれでいいのか。

 

また、試練は「天佑」だ。

 

苦しい時には、小泉元首相に教えてもらった、あの孟子の言葉をいつも思い出した。

 

「天のまさに大任をこの人に降ろさんとするや 必ずまずその心志を苦しめ その筋骨を労せしむ」

 

失敗や挫折は「チャレンジの証」。

 

試練は「天佑」。

 

人は、意味のある人生を生きようとしているのだ。

 

前を向き、「われ勇みてゆかん」の意気込みがあれば、人生は楽しくなる。

 

 

◆夢は?

 

思いっきり面白いミステリー小説を書きたい!