ラフティングチャンピオン!
テイケイ株式会社
ラフティング競技部
浅野 重人氏
2011/12/27 10:30
◆業種
ラフティングチーム監督
メンタルマネジメント講師
◆子供のころになりたかったものは?
野球選手
子供の頃から自然が好きで、野山を駆け回り、キャンプ等をよくした。
父が商社マンのため日本人でありながら海外で生まれた。
その後も海外を飛びまわっている父の影響からか、海外への憧れが強かった。
高校は留学制度のある学校を選び、高校2年生の時カナダへ短期留学をした。
その時のスケールの大きさ(土地も道も建物も食事も)に刺激を受けた。
大きいだけに大雑把なところがあるが、可能性を広げられる!と思ったのだ。
高校3年生になると周りの友達が一様に大学進学を決めた。
どうも腑に落ちない。
なぜ受験するのか友達に尋ねると「きちんと大学に行き、就職して・・・」とか、「皆が行くから」などとお決まりのコースを平気で選んでいることに違和感を覚えた。
考えても、自分には大学へ進学する理由が見つからなかった。
いったい何がしたいのか?自分に尋ねてみると。
海外へ行ってスケールの大きなことをしてみたい!
ただそれだけだった。
高校を卒業して、昼は警備会社、夜はコンビニでアルバイトを続け、3ヶ月間で100万円を貯めた。
反対していた両親も、これには驚き、本気さが伝わった。
目標は海外で暮らすこと!
行き先はオーストラリアに決定。
ワーキングホリデーとして1年間のビザをもって旅立った。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
1、朝起きてから、感謝のお祈りを15分くらいする。
2、トイレ掃除
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
テイケイ株式会社の会長
日本のアマチュア・ラフティングチームに限界を感じ、プロチームの結成を決意した。
プロチームとなったらスポンサーが必要だ。
しかし当時、メジャーとはいえなかったラフティングのスポンサー探しは難航。
会って話を聞いてもらうことすら、なかなか出来ない。
たとえ会ってもらえても、「ラフティングって何?」ということろから始まり、「よくわからない。」で終わった。
その中で、たった一人、「君は何で、この活動をやっているのだ?」と志を聞いてくれた人がいた。
スポンサー探しをして1年たった頃のことだ。
「外国に出て日本の素晴らしさを知った。海外の人々に日本人の力を証明したいからだ。」と一生懸命に話した。
すると、「君がやっていることはわからないが、」といいながら遠征費を支援してくれた。
一生懸命さが伝わったのだ。
その後も、何度か資金提供をしてくれ、一年後にはラフティングチームを結成してくれた。
会長ご本人はもちろんの事、この出会いに感謝している。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「Go Big!」
でっかくいこう!
どうせやるなら世界一を目指す。
というより、目指したくなる。
自分でワクワクしてくるのだ。
ワクワクして語っていると、それに見合う人がやってくる。
大きい夢、大きい目標を持ち、回りの一人ひとりの心の中にあるともし火を大きくしていく事が得意!
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
1、18歳、ラフティングとの出会い。
オーストラリアに着いて3ヶ月した頃、友人とニュージーランドに遊びに行った。
そこでラフティングに初めて出会った。
直ぐに、凄い!これやろう!と思った。
観光客あいてのオプショナルツアーのようなものだと思い、申し込んだ。
ところが、レベル1から6まであり、6は滝もある死ぬ程のコースだという。
怖いもの知らずとはこのことで、自分たちはレベル5を選んだ。
日本であれば、お金を払って体験する乗り物などは安全の保証がある。
ところが海外の常識は違う。
何度もしつこいぐらいに危険なことを説明された。
それでもレベル5のコースで出発した。
川に出てみると本当に激流だった。
程なくボートは転覆、インストラクター1人を含めた8人が川に投げ出された。
あせっても仕方が無い。
出発前に聞かされたレクチャーを冷静に思い出した。
足が岩などに挟まれると危険なので、足を上げて流れに身を任せた。
どんどん流されていく。
後ろを見ると自分だけが流されている。
このままでは死ぬと思い、本能で必死に泳いだ。
がむしゃらに泳いでいるうち、気がつくと川岸にいた。
そこに「アーユーオーケー?」とインストラクターが助けに来た。
オーケーじゃないよ!と心で思った。
最初は興奮状態だったが、それがだんだん恐怖にかわり、やがて怒りがこみ上げてきた。
しかし、自分で乗ると決めたことだ。
しかも相手は大自然。
ルールや常識を振りかざしても、自然にそんなものは通用しない。
このリアルな体験の最後は、なんだか嬉しくなっていた。
おそらく本当の世界が見えたからだろう。
これを期に視点が大きくなった。
2、25歳、ラフティングの世界大会に出会った時。
最初のラフティング体験の3ヵ月後、オーストラリアでラフティングインストラクターの募集があった。
インストラクターは5年間続けた。
どうせやるなら世界一!世界一のインストラクターになってやる!そういう思いでアフリカなど色々な国を回ってキャリアを積んだ。
すると、どの国のどの川も自然の法則は一緒だった。
今まで50ヵ国以上、100種類の川を体験しているが、どの川も同じである。
だから枯れ川を見ても、水が流れている状態をイメージできる。
そして気づいた。
人生も全て自分が選んだことの結果だ!思い通りになっている。
その思いが、明日現実になるのか3ヵ月後になるのかの違いはあっても、思った通りになっているのだ。
思いは叶う!これは本当だと思う。
ただし、思っていれば叶うけど、思わなかったら叶わない。
そしてそこには責任が伴う。
自然の法則に例外は無い。
自分のやったことは、どういうかたちにしても返ってくる。
ある意味とても危険なことだ。
また、思いや願いには質がある。
例えば、人を蹴落として自分だけが良くなることを願うことと、世の中全体が良くなることを願うことが違うように。
自分自身の心を鍛えなければいけないと思う。
そんなことを自然体験やチーム作りから学んだ。
そして25歳の時、ラフティングの世界大会がある事を知り衝撃を受けた。
大会後、夜のパーティで、世界大会のプロモーターに声をかけられた。
「チームを作って参加してほしい」という言うではないか!
その夜、新たな決意が生まれた。
「日本に帰ってチームを作り、世界大会へ出場する!」
早速日本へ帰国し仲間を集めに奔走した。
3、29歳、プロチームを作った時。
ラフティング技術もそうだが、何よりメンタルの強いメンバーを募った。
初めての体験でもパニックにならないように肝の据わった人間を集めたかったからだ。
アルバイトをしながら、皆で週に3回程度集まって練習した。
自費で世界大会に参戦!
結果は16チーム中15位。
世界一になるには、とても程遠い成績だったが、今回の目標は世界大会に出場することだったので、自分の中では目標達成していた。
ところが、同行していた取材カメラマンが、私のビックスケール魂に火をつけた。
「これからどうするのですか?せっかく日本のラフティングに風穴を開けたのだから、新しい道を開いていくのは浅野さんしかいないですよ。」
よし!次は10位以内に入るぞ!
それには、プロチームを結成して練習に専念しなければ!
決意を新たに目標に向かった。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
プロチームを作った翌年に、チームが崩壊した。
ラフティングの選手ではなく、カヌー等その道のスター選手を集めてチームを結成した。
スター選手は、実力もあるけど、こだわりやプライドが人一倍強い。
その分、考えがぶつかることが多かった。
それでも試合に出場し、今までよりは、ほんの少し良い成績を残すことが出来た。
しかし、とても満足できる結果ではない。
結果が出たとたん、今まで我慢していたものがぶつかり合った。
それみたことか!と皆が人のせいにし、チームは崩壊した。
自分の監督としての器の無さを反省し、頭を丸めて会長に謝りに行った。
すると会長は「もう一回チャンスをやるから、やってみろ!」と言ってくれた。
チームの年間維持費は数千万円。
この時、本当の意味で覚悟が肝に入った。
結果を出さなければ!死ぬほどの覚悟だ。
まずはメンタル強化、チームワークやリーダーシップを学ぶため多くの人に会いに行った。
実践では、守破離(しゅはり)を実行した。
守=成功した人の真似を徹底的にした。
当時チェコスロバキアがラフティング世界一だったので、チェコの練習をまるでストーカーのように張り付いて研究した。
最初のうちは、なぜこの練習をするのかわからなかったことも、真似ているうちにわかるようになった。
徹底的に真似て、技術は向上したが何かが違う。
破=チェコの選手とは、先天的に体格が違うのだから、同じ練習をしていてもダメだということに気がついた。
離=日本人に合ったオリジナリティの練習、チームワークやメンタル強化を編み出していったのだ。
そして7年後、世界一のチームになった。
◆夢は?
チーム作りの中で、力を出す方法がわかった。
願いを叶える方法も!
日本チームが出来た頃は、見向きもされなかった。
それが、今は世界中のお手本になった。
このノウハウを、ラフティングだけで終わらせてしまってはもったいない。
これからは、ラフティングの監督と共に、メンタルマネジメント・リーダーシップ・チームワークの講師として、結果を出すための「心の整え方」を伝えて行きたい。
日本の未来のために!
ラフティング世界チャンピオン&パイオニア 浅野重人WEB
http://asanoshigeto.com/
◆浅野重人 著書
「どん底からの世界一」
~世界最弱ラフティング日本を8年で世界一に導いた心の整え方~
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