東條英機氏の曾孫
株式会社カルチャージ
代表取締役
東條英利氏
2011/2/8 15:00
◆ 業種
ITメディア/情報サービスの企画・製作・運営
神社ポータルサイト「神社人」の運営
◆ 子供のころになりたかったものは?
中学生の頃は、テレビ局のディレクター
創作や絵を描く事が好きで、何か創る人になりたかった。
◆ 毎日欠かさずしていることはありますか?
神棚に手を合わす。
◆ 自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
東條英機という存在
最近になって、英雄扱いされるようになったが、子供の頃は学校で習うことや一般世論と、親族の話にギャップがあった。常に、自分の中にある偉大な存在だ。
また、母方の祖父の存在も大きい。豪農で市議会議員でもあった祖父は、昔気質の厳しい正統派だったが、私をとても可愛がってくれた。
土地持ちで、有効活用できていない土地がたくさんあり、夏休みになると毎日午前中は草むしりを手伝わされた。
その時、祖父から昔話を聞きながら忍耐を学んだ。また、祖母は出かける時に火打石を打ってくれた。
当時は、「急いでいるのに早くしてくれよ。」等と思ったものだが、今思えば、そういう日本文化の素地を育ててもらったのだと感謝している。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
1、「開眼大局着手小局」
大学を卒業して、直ぐに就職した会社の研修センターに貼ってあった言葉。
視野を広くして小さな事から始めるという意味。
2、「人の道 歩む様は至誠 忍 努即権威 添えて全うし」
昭和23年3月29日 曽祖父である東条英機が、私の父に当てた言葉。「何事も誠意と忍耐をもって、コツコツ努力やれば何れ大成する」という意味だ。
この言葉が、直筆で書かれた色紙を携帯に保存し、励みとしている。
◆ 人生の転機はいつどんなことでしたか?
香港勤務(海外駐在)
大学を卒業して、最初に就職した会社は通信販売の会社で9年間勤めた。
その内の4年を香港で過ごした。日本を海外から見たとき、日本人としてのアイデンティティやナシャナリズムが足りないことを実感した。
海外では、日本について尋ねられたとき、「わかりません」と答えると、それは教養の無い人だと評されると同時に、たった一人の日本人で日本全体が評価されることもある。
海外の人はあくまで、その民族的な部分に興味を持つが、日本では、海外のことを知っていることが国際人だと誤認している。
ある意味、「日本酒知らずしてワインを語らず」と言ったところで、自国のことも知らないのに、他国のワインを語り知識をひけらかしても国際人としては通用しない。
かのゲーテも言っている。「最も民族的なものこそ、最も国際的である」
日本人はもっと自国の文化や歴史を知らなければ!と思った。同時に、日本には、優秀な人を受け入れる器が無い。
これでは日本人のナシャナリズムも育ちにくい。だから、優秀な人が海外へ出たら帰って来なのではないか。
海外の人は、異国の地にいても、「いつかは自国に帰りこの経験をお国のために役立てる」と当たり前のように思っている人が多い。
しかし、日本人にはそういう気概があまり無いように感じる。
また、逆に、国内でも、東大などの大学機関が開発した技術を、日本の企業が買わないので、海外の会社に買われてしまうということも起きている。
大企業は自社で開発するからと言って断るのだそうだ。結果、日本の優秀な技術力は海外へ流出してしまう。しかし、最近では、日本企業が買わないのなら、海外の会社に売るというと「ちょっとまってくれ」となるらしい。
しかし、このままでは日本は凄い技術力を持ちながら、海外に負けてしまうだろう。
反面、それとは逆に「日本人の凄さ」もわかった。
例えば、朝、会社に早やめに来て、机を拭くとか掃除をすることを日本人は当たり前のようにする。しかし、香港の人たちは、「そんな契約はしていない、そんなことはこっちでは通用しないよ。」と言う。
こういったことは、香港だからというより日本以外では往々にしてあることだ。
しかし、日本では、仕事に対する姿勢が純粋なため、合理的な解釈以上に、努力をする傾向が強い。この点は、些細なことかもしれないが、日本人って凄い!と思った。
だからこそ、日本の凄さを日本人にわかってもらいたい。そんな思いが、神社人を立ち上げる根底にあった。
そして、起業して32歳から35歳の頃、事業内容について模索していた。
その頃に、旅行代理店H.I.S 代表取締役会長 澤田 秀雄氏の勉強会に参加したことがあった。
そこで学んだ「経営の7か条」の中で、うまくいっていないときは道筋を立て戦術・戦略が大事ということと共に、教えられたことがある。
1、大手とかぶることはNG
2、ニッチなものの中でナンバー1に成れることをする
3、オンリー1を目指せ!
これを聞いた後考えた。
「他と差別化できるものは何だろう。そんな時、友人に誘われ東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)に参拝した。
神社の何ともいえない気に触れ、神社について知ろうとしても、良いサイトがない。
毎年、正月三が日の参拝客は9,900万人もいる。調べてみれば、神社は88,000社あるではないか。
これだ!と思った。
その時、日本人のアイデンティティとナショナリズムも育めるような、神社検索サイトを立ち上げようと決意した。調べるうちに、そもそも神社が廃れたのは農業の衰退にも原因があるとわかった。
江戸時代は8割が農民だった。
農業は天候に左右されるもので、天候は人間の力ではどうにもならないものだ。
だからこそ、すがるものが必要だったし、ありがたみも感じることができたのだと思う。しかし、明治以降は産業構造が変わり、農民が減った、それと共に神社も衰退したと考えられる。
また、神道は教祖がいる宗教とは少し違う。神道は民衆からのボトムアップだが、他宗教は教団からのトップダウンだ。
神道は教えを請うものではなく、自ら追求・高めていくものである。
海外赴任の経験が、日本人とはなにか?日本を楽しみ、次世代へ日本固有の伝承文化を継承することを目的に「神社人」を立ち上げたきっかけにもなっている。
◆ 問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
皆さんに助けられている。
人に会うことに対して躊躇せず、年間平均約1,000人の人に会った。
人は自分一人では何も出来ない。出会いの中から、様々なことを学び少しずつ現状を高めている。自分は万能でない。
最近は、出来ないことをしてくれる人との出会が多い。人間関係を通して、相互補完関係を築いている。
◆ 夢は?
「神社人」を形にすること!
日本人に対してポジティブになれるサイト創り。
日本人であることを、楽しく誇れ「日本に生まれて良かった!」と思うように。
「神社人」を通して日本文化に触れ、日本の素晴しさに気付く、原点回帰。
日本人としてのアイデンティティを大事にするように!
神社ポータルサイト「神社人」
株式会社カルチャージ
コメントをお書きください