株式会社パソナ
常勤監査役
野村和史氏
2010/12/15 10:00
◆業種
人材派遣・人材紹介
◆子供のころになりたかったものは?
漁師
小学校、中学校の頃に、母の実家の大阪で魚釣りをしていて思った。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
松の実のパウダーエキスを41度のお湯に溶かしての足湯毎朝5:00に起きて、足湯をしながら新聞2誌を読み、お茶漬けを食べ、6:20に家を出る。
又、土日には卓球をしている。
少なくとも週に1回は、息子の卒業した小学校に、父兄OBとして卓球を教えにいっている。
更に、月一回は「字てがみ」を習っている。
漢字一文字を書いて、一言ひらがなを添え気持ちを伝える。
例えば、「和」と書いて「ありがとう」と添えるとか、「謝」と書いて「うれしい」と表現する。
漢字文化を大切にし、気持ちを相手に伝えたいとの想いから始めた。
毎年、200枚程、全て手書きで年賀状を出している。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
南部靖之氏
株式会社パソナグループの創業者
私の大学の先輩である南部氏は、学生時代から大阪、千里ニュータウンで情操教育を取り入れながら小中学生に5教科を教える塾の経営をしていた。
私は、南部先輩に誘われその塾の講師になった。
塾では、人の能力を風船に例えて生徒たちに教えた。
生まれながらに、大きい風船もあれば小さい風船もある。
しかし、自分の意思でその風船に息を吹き込む時、吹き込み方で大きさや形が変わる。
元々の風船の大きさではなく、吹き込み方が大切だということだ。
又、小中学生が花や水に触れ自然に親しむため、長野で4泊5日の自然教室も開いていた。
南部先輩は大学を卒業すると、塾の経営を私に任せて派遣会社を創った。
動機は、塾にかよう生徒の母親たちに再就労先を支援したいという想いからだ。
若い頃に、企業で働いたというキャリアがあっても、一度主婦になってしまうと再就職先を見つけるのは難しい。
まして子育てをしながら、となると更に困難になる。
そんな問題を解決したいという想いから始めたのが、現在のパソナの母体となる株式会社テンポラリーセンターだ。
大学卒業の頃、「うちの会社に来ないか」と南部先輩が誘ってくれた。
しかし、私は工学部だったこともあり、化学メーカーから内定を貰っていたため悩んだ。
そんな時、「御世話になった南部さんの会社に入ったらいい。」と父が背中を押してくれた。
石の上にも3年と思って入社したが、1年後には「会社の人事機能の中心は東京だ!」と南部社長と先輩方の総勢4人で、家財道具と共に2トン車2台で東京へ進出した。
当時は派遣会社など他には無かったので、認知されるまでに時間がかかった。
派遣会社が身元を保証するといっても、派遣会社自体が認知されていないのだから話にならない。
追い返されることもしばしばだった。
当時は、ワープロが世の中に浸透し始めたばかりだったが、働きたい人が社会へ出るためのスキルを高める講習も始めた。
しかし、働きたい人を集め、スキルアップを図っても働ける場所が無かったら意味が無い。
働く場所を求めて、ビルの上から下まで1社1社、必死でラッカサン営業をして廻った。
当時は、会社を大きくしようと思っていた訳ではない。
とにかく、主婦の方たちの再就労を何とかしようという想いで一生懸命だった。
それがいつの間にか大きくなったという感じだ。
しかし、これからの課題もある。
年収200万円の人が、1ヶ月150時間働くとして1年で1800時間。
これを時給に直すと1,111円になるのだ。
派遣会社が長期に時給1110円以下の派遣ばかりしていると、ワーキングプアーと呼ばれる人たちを増やすようなことになりかねない。
主婦や高齢者の雇用や教育に工夫を凝らし、就職が決まっていない大学生に対しては、パソナグループとして社会的な問題の解決に向けて取り組んでいる。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「謙虚さと少しのあつかましさ」
図々しくないように勇気を振り絞って自分を伝えること。
営業マンとして駆け出しの頃、経験も人脈も無かった。
交流会やパーティで、名刺交換するだけでも大変だった頃に先輩から教えてもらった言葉だ。
又、企業へ営業に行っても直ぐに契約してもらえることは少ない。
「謙虚さと少しのあつかましさ」で、何度も何度も伺ってやっと信用を得ることが出来た時は本当に嬉しい。
更に、派遣契約が決まっても、企業側や働く人が「こんなはずじゃなかった。」となることもある。人間同士だから、意志疎通からミスマッチが起こることもある。
そんな時も「謙虚さと少しのあつかましさ」で、相互がどうすれば継続的に喜んでもらえるか?!を考え、働く人のご要望を聞いて企業側に改善を求めたりもした。
人間同士だからわかってもらえると信じて。
人間は、なんとなく過ごしていると、ついつい楽な方へ進んでしまうもの。
今の自分よりちょっと背伸びしてチャレンジする!
そういうことが勉強だと思う。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
31歳、テンポラリーセンター10周年の時
イベントの責任者として手を上げてしまった。
武道館と大阪城ホールを合わせて3万人の大掛かりなイベントだ。
箱(会場)は決まったが、イベント業者に頼むか、自社主催でするか、ましてやイベントの内容さえ中々決めることが出来なかった。
結果として、自社主催で、ソウルの神様と言われるジェームス・ブラウンを呼びコンサートを大成功させることができた。
この時の支出は1億1千万円、興行収入は1億円だったが、マスコミでも話題になり、1千万円の支出だけではとても得ることの出来ないパブリッシング効果を得ることが出来た。
責任の重圧の中、皆と不眠不休で必死に取り組んだ2〜3ヶ月があっただけに、コンサート中、舞台の袖で感動のあまり涙したことを思い出す。
この挑戦は、大きな喜びと感動の成功体験となり今に生きている。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
問題や障害があっても、一生懸命やっていると運が向いて来る。
運が向いてくると「自分は運がある」と思うようになる。
すると、益々運が良くなる。
成果とは、3つのワードの掛け算だと思う。
1、才能(能力)
2、行動
3、情熱
掛け算だから、どれが劣っても成果は上がらない。
才能や能力が高くても、やらされている感では変化がないのだ。
会社を育ててやろうと言うぐらいの気構えが必要だ。
また、人に教えるのは大変だから、自分でやるのが早いと言ってやってしまっては成長が無い。
チームワークが大切だ。
更に、「何とかして、○○します。」と言うと、人は「何とかして」の言葉に安心してしまうようだ。
この「何とかして」という言葉からは工夫が生まれない。
言葉は恐いものだ。
考えて動いて、工夫に工夫を重ねると運は「招き猫」になってやってくる!
◆夢は?
地域の事でもかまわない、日本の次世代に少しでも役に立てればと思う。
その一環として、財団法人ユースワーカー能力開発協会の理事もしている。
私は、人に教えることが好きだし、教育が大事だと思っている。
又、相手のためにと思ってやっていると想像が生まれる。
ボランティアについてアメリカ人から教わったことがある。
ボランティアは肩肘張ってするものではない。
継続することに本当の意味があるのだ、と。
出来る範囲で続けて行きたい。
パソナ本社の1階正面には、田んぼや大根畑がある。
また、LEDで野菜に赤、青、緑の光りを当てて成長実験もしている。
多くの人が少しでも農業に興味をもって、農業での雇用増などで地域の活性化に繋げようという試みだ。
次世代の元気のために。
株式会社パソナソーシング
http://www.pasona-src.co.jp/
財団法人ユースワーカー能力開発協会
http://www.youthworker.or.jp/
コメントをお書きください