株式会社ブレーンネット
代表取締役
今井智康氏
2010/07/16
◆業種
IT人材派遣事業、システム開発事業、人財育成
◆子供のころになりたかったものは?
サラリーマン(営業マン)になるんだろうなと思っていた。
小学校の授業参観で将来なりたいものの作文を発表した時、同級生たちは、医者や弁護士、会社の社長など将来の夢を発表した。
その中で、一人だけサラリーマンと言ったため、笑いは取れたが参観していた母はショックを受けたという。
私としては、父がサラリーマンだったため、父のようにスーツを「ビシッ」と着こなした営業マンになりたいと言う意味だったのだが、家に帰ってから母に「夢が無いわね。」とぼやかれた。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
「ありがとう」という言葉を一回以上言う。
また、逆に「ごめんなさい」という言葉を使わないようにしている。
言葉は、感謝の言葉で表現したい。
そういう想いからだ。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
1、父
家では全くと言っていいほどしゃべらない人で、特に長男(自分)に対して厳しい、いわゆる頑固おやじである。
父も長男で、軍人である祖父から厳格に育ったためだろうと思われるが、弟には良く笑顔を見せるのに、私は小さい頃から笑いかけてもらった記憶がない。
小学生の頃は、父に嫌われているのかと思っていた。
そして、お風呂に入った時など事あるごとに「長男は大変なんだ。長男らしくしなさい。」という事を植え付けられた。
そんな父の背中を見て育ったお蔭で、今があると思っている。
2、武田 喜一郎氏
弊社の創業者であり、ビジネスの父である。
カリスマ的存在で、「人の採用は熱さだ!情熱しかないんだ!」としょっちゅう言っている。
社会人になって初めて入社した会社の先輩Mから、3社目になる人材派遣大手に転職しようとしていた矢先に紹介された。
最初の会社はオーディオアクセサリーのベンチャー、営業のイロハをその先輩Mに教わった。
2社目は、最初の会社の先輩に誘われてITの派遣会社に一緒に転職、2社目もベンチャーだったが、年商5億円企業がを2年間で20億強までになる瞬間を体感し、衝撃とともに
大きな経験を積むことになった。
3社目は人材派遣大手に転職。
3社目を選んだ理由は、声をかけてくれた方が良かったこともあるが、結婚を控えて親戚や両親の手前、大手のサラリーマンになれば世間体が良いと思った事もあったからだ。
先輩からは「お客様になる人がいるから会った方が良い。」と言われ、私も「転職先に良い手土産になる。」と思って会いに行った。
ところが、武田氏に「初めまして」と挨拶を交わし終えたとたん「いつから来れるの?」と言うではないか!?
なんと武田氏は先輩Mから「営業マンを紹介する。」と言われていたのだ。
しかも、最初は先輩Mが武田氏に誘われていたのだが、先輩Mはすでに別の会社の役員であったために行かれないので私に白羽の矢が立ったのだと言うではないか。
私も、転職が決まっていて義理を欠くことは出来ない。
「入社は出来ません」と断った。
しかし、武田氏は毎日電話をしてきて「今日会おう!」と言ってくる。
「大手に行くな!君にはベンチャーが合っている。」「君を20代で社長にしたい!」等と熱烈に誘われた。
武田氏は情熱の人だけあって、「この人」と決めたらそう簡単には諦めない。
しかし、誘ってくれた人との約束もあるし結婚も控えている、結局人材派遣大手に就職した。
ところが、入社してみると「今までと違うな」と即座に思った。
ベンチャーは、常に経営者の近くで、なんでも自分でやらなければならない。
しかし、自分のやったことが会社の血となり肉となるのがありありと分かる。
しかし大手はベンチャーとは違う、組織力とマネジメントシステムの中で如何に成果を出すかが問われてくる。
全く手ごたえが違う。
その企業は、上場も控え、優秀な人材も多く、皆が目を輝かせて働いていた。
回りの人達とのモチベーションのギャップに「自分が居ることで迷惑が掛かる」と2週間で退職を決断した。
武田氏に「お世話になります!」と電話すると「君は立ち上げで力を発揮できる!」と言われ、武田氏の会社に就職することになった。
今思えば、武田氏はむちゃぶりする人で、1年で7名しかいない派遣スタッフを3ヶ月で
30名に、半年で50名にしてくれと言う。
この目標は、入社を決めた直後に会社に呼ばれて言い渡された。
正直驚いたが、自分には後が無いと思い、武田氏に自分の信頼できる部下でありパートナーになる後輩を一緒に入社させて欲しいと提案した。
武田氏は「わかった。」と細かいことは一切聞かず、二つ返事でこの提案を受け入れてくれた。
その後輩も、別の大手派遣会社に転職が決まっていたのに私の「もう一度一緒にやろう!」の一言で付いてきてくれた。
今の役員の鉢呂氏である。
そのお蔭もあり「やってやらぁ!」という気持ちで入社していたので、皆で死に物狂いで頑張り、上記目標を達成し1年後には100名の派遣会社にした。
後から聞いた話だが、当時の会社はまっかっかの赤字会社で、武田氏は会計顧問に「今井を入れてダメだったら会社をたたむ覚悟だ。」と話していたという。
自分に社運をかけてくれたのだ。
男気の世界である。
その後も順調に業績は伸びていき、まっかっかの赤字会社が3年で5億円の売上をあげることが出来た。
今では人材事業を中心に様々な事業を行っている。
戦国武将を例にタイプ別診断をするのだが、武田氏は織田信長タイプである。
私は、豊臣秀吉。
この2タイプが居れば会社は前進して行くが、組織としてはまとまらない。
そこに調整タイプに明智光秀と、緻密なリスク計算の出来る徳川家康タイプがバランス良く揃うことが大事。
今の会社はとてもバランスよく人材が揃っている。
戦国物語とはストーリーが違うが、武田氏は私の可能性を最大限引き出してくれた人だ。
見事に20代で社長にしてくれた。
仕事の仕方、発言、行動、生き方、遊び方に至るまで、その一つ一つの全てが今でもビジネスの父である。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「神は細部に宿る」
武田氏から教えてもらった言葉の一つ。
代表者になると社員の声が届きにくくなる。
社員の言葉を聞け!その中に経営のヒントが隠されているのだ。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
武田氏との出会い!
この出会いが無かったら、経営者になっていなかったかも知れない。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
「なんとかなるさ!」で何でも乗り越えることが出来る。
本質が楽観主義なのだ。
某大学に憧れて受験したが、一年浪人しても思いは叶わなかった。
「今度はやる!」と両親を説得し、コンピュータの学校に進学した。
しかし、いざ取り組んでみると、思っていた内容と違う。
人が好きな自分にとって、「技術者は向いてない」ということがわかり1年で中途退学した。
しかし、ここまで来ると親には言い訳が立たない。
ベンチャー企業に就職し、オーディオアクセサリーの営業職に就いたが厳格な父親はろくに口も聞いてくれなかった。
中小企業の会社の中で、どんなに営業成績を上げても父には通用しない。
その後、転機を経て結婚し、会社の代表者になった頃から良く話をするようになった。
父が、私を社会的に認めてくれたのだろう。
それも含め「なんとかなるさ」で乗り越えて来た。
また過去3度、転職したが、全て紹介とご縁で転職しているので、履歴書を書いたのは最初の会社1だけだ。
人が好きで、人に恵まれたお蔭である。
◆夢は?
人とずっと繋がって生きて行きたい!
人が好きで、周りの人々に恩返しが出来れば良いと考えている。
サービスを周りの人に提供したいのだ。
人にサービスすることが好き!逆に言えば、人にサービスが出来る生活を保てれば良いと考えている。
「ありがとう」と言いたいと同時に、「ありがとう」と言われるようなことをして相手に喜んでもらいたい。
株式会社ブレーンネット
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