隼町法律事務所
弁護士
人見 勝行氏
2010/1/27
◆業種
弁護士
大学を卒業して一度、企業に就職してから弁護士を志した異例なタイプ。
法律は、誰の為に守っているのかわからなくなるようなところがある。
そういう意味では、依頼者の利益のために裁判所とも戦うこともある。
◆子供のころになりたかったものは?
東大生!
子供の頃両親に、「お小遣いちょうだい!」と言ったら「東大に入ったら3万円あげる!」と言われ、小学校の頃は「東大に行くんだ!」と言っていた。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
最近はFXのチャートを見ている。
金融商品で大損をしたことはあるが、儲かったことはない。
しかし、いつか一攫千金をつかむ!
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
自分最高!
司法試験を受ける時などは、「俺が受からなかったら誰も受からない!」と本気で思って受験した。
そのくらいの気構えで臨まないのであれば,何事も成功しないと思っている。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「配属地,釧路。」
他人の都合で住居まで左右されることが単純に嫌だった。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
釧路に転勤になった時。
大学を卒業して大手漢方薬品メーカーに就職して,新入社員研修も真面目に受けたため,花形の営業部に配属となった。
しかし、営業研修で気を抜いたせいであろうか,配属された営業所は北海道の釧路だった。
そして,現地に赴いて感じたことは,他の地域よりも接待等が重要であることと,生命の危険と隣りあわせであることだ。
上司からは,実際に現地で車のアイドリング中に寝てしまい凍死した人がいると聞かされた。
北海道や東北の出身者の方々からみれば大げさなのかもしれないが,環境の変化に順応するのは大変なことだ。
さらに,過去の例では,北海道に配属された従業員は,道内の営業所に転属することが多いとも聞かされた。
研修期間中に上司と北方領土返還の記念館に行った時には、「自分も本州には二度と戻れないかもしれないのではないか!?」と嘆いたことは未だに覚えている。
そして,どん底に追い込まれたその時、あるビジネス雑誌が目に付いた。
「今、司法試験が熱い!」というようなタイトルで、「3回以内だと受かりやすい」といとも簡単に合格できるように書いてある。
大学の学部は法学部であったし、在学中に宅建の資格を取っていて全く接点がないわけでもないので、勢いで司法試験に挑戦することにした。
ちなみに,宅建の資格取得動機も強い志とは無縁で,就職試験の面接で「今、秋の宅地建物取引主任者試験に向けてがんばっています!」などと、これまた勢いで高らかに宣言してしまった手前,やむを得ず受験したのだ。
重要なのは、直感と勢いである。
早速、退職して横浜の実家に戻った。
最初の一年目はアルバイトもしながら予備校へ通い受験した。
当時は法科大学校を卒業しなくても司法試験にチャレンジできたので、予備校の課程を一通り終えた段階で受験を開始した。
そして、試験を受けることにより,要領も分かってきた。
当時の司法試験は,択一試験,論文試験,口述試験に分かれていたのだが,択一試験は過去問等の問題集を1日80問こなすことで対処した。
試験のための知識は覚えるだけでは役にたたない。
覚えた知識がどのような形で回答として現れるかが重要である。
この問題といったらコレというように、条件反射で答えが出てくるぐらいまで同じ問題を解いた。
反復と継続が大切だ。
また,司法試験最難関と言われた論文試験もペーパーテストに他ならない以上,採点基準があることは当然である。
好き勝手な回答をしていいわけはなく,論文であっても書くべき内容は最初から決まっているのだ。
試験は3回目で合格した。
最初の年は択一試験すら通らず,2年目も論文試験を通ることができなかった。
なお,論文試験の順位は11位であったから,3回以内の受験者として優遇されたわけではない。
実は,自分の中では,択一試験も論文試験も1位合格を真剣に目指していた。
実際,合格した年には,予備校が主催する択一試験の模試では,殆ど全国2位を維持していた。
ところが,合格した年の実際の択一試験の当日,私の受験した会場の近くで事故があったらしく,会場の真上をヘリコプターが爆音を響かせて旋回しており,全く集中できなかった。
結局,択一試験の順位は180位まで落ちたが,合格推定点は余裕で上回っていたので,無事,論文試験に進むことができた。
強調したいことは,「私すごいでしょ!」ではない。
仮に,合格推定点を少し上回ればよいという姿勢で臨んでいたら,確実に不合格であったことだ。
試験を受ける前に,「ぎりぎりでも合格できればいい。」などと考えている人もいるが、いつどのような事態が起きるかわからない、だから常に100%を目標にしておかないと確実に合格することは出来ないとい考えている。
だから,たとえ合格率が3%であろうとも,受験生の多くの部分を東大生が占めていようとも,トップ合格を目指して準備をしてきた。
なお,私の勉強方法は、試験勉強中にマニュアル化しておいたので、試験合格後、予備校から一冊の本になって出版された。
自分は楽な環境にいるとサボるタイプだから,退職して退路を断ったことはよかったのかもしれない。
母親からは,「あんたいつまでそんなことやってんのよ!そろそろ働きなさいよ!」とプレッシャーを掛けられた。
3回受験して駄目だったら別の道も考えようとは思っていたが,合格発表の日に母が「私は受かると信じていたのよねー」と聞いて「嘘付け」と思ったことは記憶に新しい。
釧路に転勤して「二度と本州に戻れないのは嫌だ!」という強い思いを経験しなかったら、嘘の日報を書き、パチスロでもしながら暇をつぶす「ダメサラリーマン」を楽しんでいたかもしれない。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
常に自分の成功を確信した。
高校一年生の時には交通事故で一ヶ月間入院をしたことを契機に勉強をしなくなった。
当然,現役で大学に合格するわけもなく,一年間の浪人生活が始まった。
まさに偏差値40からの大学受験であり,当時は大学受験も競争の激しい時勢であったが,自分が合格できないなどと考えたことはなかった。
受験直前には、「俺はここの大学に通うんだ!」と思いながら大学を下見に行ったりした。
結果として、その年はいくつかの大学法学部に合格した。
なぜ法学部かというと数学が無いからだ。
数学は積み重ねの勉強、高校3年間の勉強量が欠落しているので到底追いつかない。
また、入学してからも自ら選択しない限り数学とは無縁の学部が気に入ったのだ。
実際に,法学部では,弁護士を目指す友人に「がんばれよ!」などと無責任な声援を送るだけで,自分がまさか弁護士になるなんて夢にも思っていなかった。
司法試験の発表も、予備校の発表を待つのではなく,必ず法務省の隣の人事院まで毎年自分で見に行った。
受かった人の喜んでいる姿を見るためだ。
その姿をみて「今度こそ自分がなる!」とイメージし、更にエネルギーを高める。
願書を出しに行くときも,弁護士会館も通りかかる際には、必ず自分が入っていく姿を想像していた。
「俺はここに出入りする人間になるのだ!」そう思うと活力が湧いてくる。
営業のトップの方から「ロールスロイスに乗る自分を想像できない人はロールスロイスには絶対に乗れない。」と聞いた。
人はイメージ出来ないことは実現しないのだと教えられた。
本当にその通りだと思う。
問題障害は、自分が成功するという確信と想像で乗り越えた。
加えて,目標を欲と直結させることも重要である。
そもそも,私が弁護士を志したのは、正義感や使命感ではなく,「他人の都合で住居を指定されることのない安泰な人生」を目指したからであって,必ずしも弁護士の職にこだわりがあるというわけでもない。
自分が試験に合格できたのも,欲だけが動機であったからだと確信している。
他のことは,合格してから考えれば十分である。
◆夢は?
一攫千金!
もちろん、弁護士となった以上,自分の依頼者のために全力を尽くすことは当然である。
しかし,現在は大損中であるが,金融商品で億単位の金員を当てて、全く違うことも始めてみたい。
実は,大金を稼ぎたいなら,弁護士より企業家になった方が良いと感じ始めているが,遅きに失したようだ。
そういえば,私が受験を始めた頃に起業した方には,会社を年商数十億にまで伸ばした方がいる。
隼町法律事務所
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