株式会社プレステージ
代表取締役
遠藤一義氏
2010/12/13(月)13:00
◆業種
カー用品、化粧品等の企画、開発、販売
Bluetoothヘッドセット等の輸入販売
◆子供のころになりたかったものは?
経営者
カッコイイと思ったから。
父は大手証券会社のサラリーマンだった。
転勤が多く、私たち家族は日本中色々なところに引っ越した。
小学校は4校、中学校で2校、転校した。
中学は、名門私立中学に入学したのに、転勤に伴って退学し、公立校に転校したこともある。
なんと勿体ないことをする、と思われるかも知れないが、「転勤は家族一緒にする」が父の教育方針だったのだ。
その父から晩年、「サラリーマンじゃつまらない。」と良く聞かされた。
最終的に父は大手証券会社の関連会社の社長に就任したのだが、自分の会社を持つことが夢だったようだ。
そのため、私が起業したときは物凄く喜んでくれた。
そして、「社長は経験したが、会長になったことがないので会長にしろ。」と言う。
創業当初の小さい会社なのに、親孝行のつもりで会長の名刺を作ったことを懐かしく思う。そんな父も5年前に他界した。
中央大学付属校で、高校生の時は野球しかしていなかったが、成績は常に1番だったので大学は法学部に進学できた。
しかし、入学して直ぐに弁護士という職業に疑問を持った。
「どうみても悪い事をしている人を、弁護することは私には出来ない。」と思ったのだ。
自分の生きざまとは違うからだ。
検事や裁判官という道もあるが、名誉職ではつまらない。
経営者になりたいという思いが強かったため、そこから「自分には何があっているのか?」と、職業探しを始めた。
体力に自信があったので、土方や長距離トラック、教材の営業や球場のコーヒー売り等、40種類ぐらいのアルバイトを経験した。
中でも一番怖かったのは、鉄を切断する工場だった。
工場にいる殆どの人の指がないからだ。
また、寒くて辛かったが、南行徳の駅や橋の工事に携わったことは今となっては良い思い出になっている。
その中で、西武球場でのコーヒーの売り子を経験したときに、「自分は何か物を売る仕事が得意そうだ。」と思うようになった。
コーヒーの売り子は歩合給で、自分はいつも売り上げ1番だった。
同じコンデションの中で1番になれるのだから、営業販売が合っているのではないかと思い始めたきっかけになった。
大学を卒業して、最初から10年間で起業しようと計画しつつ大手専門商社に入社した。
しかし、この時、第一希望の大手総合商社に入社していたらそのままサラリーマンを続けていたかもしれないと思う。
第一希望の商社に落ちて、くやしい思いをしたことは良いエネルギーになった。
そして予定通り、10年後、自分の会社を起業したのだ。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
洗車とトレーニング
何でも物を大事にするタイプで、特に車は自分の体の一部と考えている。
毎日、5時に起きて、手を洗い、歯を磨くことと同じように車を洗う。
小一時間程かけて2台の車を洗うと、体も適度に温まる。
毎朝のウオーミングアップといったところだ。
その後に、バーベルやダンベルを使ってウエイトトレーニングをするのが日課で、自宅の庭にネットを張って、ピッチングやティーバッティング、ゴルフのアプローチの練習もする。
野球をしている息子や、テニスをしている娘とのトレーニングは楽しいコミュニケーションの場になる。
私は、中央大学付属高校、野球部の出身だが、今でも10数名の仲間と年間15試合程している。
そこで、私はピッチャーとして毎試合150球前後投げるのだから、毎日のトレーニングは欠かせない。
最近はマラソンチームも結成し、500チーム参加した中で80位と中々の高成績を上げた。
また、中央大学にはOBが集まる南甲倶楽部があり、毎月一回以上は集まる。
メンバーの結束は固く、業界最大手の会長や社長もいる。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
藤田 田氏
日本マクドナルド株式会社の創業者
何においても「先を見る目」をもった人として尊敬している。
きっかけは、藤田氏の書いた「ユダヤの商法」を読んで感動したことだ。
一説によると、ソフトバンクの孫正義氏もこの本を読んで藤田氏の門を叩いたそうだ。
孫氏が16歳の時、佐賀から一人で上京し、藤田氏を訪ねた。
携帯電話も電子メールも、勿論インターネットも無い時代だ。
藤田氏は、日本マクドナルドを創業して2年程度の時だから、忙しくて取り合わなかった。
ところが、孫氏は1週間毎日通い詰めた。
それを聞いた藤田氏は「5分だけなら」と孫氏にあった。
孫子は藤田氏に「僕はアメリカの大学に留学したいと考えていますが、アメリカで何を学んできたら良いですか。」と尋ねた。
藤田氏は「コンピュータを学んで来なさい。」と答えたそうだ。
藤田氏がいなかったら、今のソフトバンクもなかったかも知れないのだ。
鳥肌が立つほどに感動した。
また、マクドナルドについては、色々な日本の大企業が販売権を獲得したいと創業者のレイ・クロック氏に申し込んだが商談はまとまらずにいた時、友人の伝手をたどってレイ・クロック氏に会った藤田氏はたった5分で商談が決まったという。
そこで、日本マクドナルドは1971年銀座三越に1号店をオープンした。
当時は、マクドナルドを知る人も無く、この好立地は画期的な事だった。
これを承認した当時の三越の岡田茂専務に、晩年まで恩に着ていたところも藤田氏の素晴しいところだ。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「凡眼には見えず、心眼を開け。好機は常に眼前にあり!」
藤田 田氏の言葉
ボーッとしていると何も見えてこない、心の眼を開きなさい。
そうすれば、チャンスはいつでもあなたの目の前にあるんだ!
「好きなときに、好きな人と、好きなことを、好きなだけできる人生!」
これは私自身が理想とする人生観
金銭的な余裕と、時間、健康な身体や人間関係がなければ出来ないことだ。
たった一度の大切な人生、こうでなければつまらない。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
最大手のカー用品専門店チェーンとの取引が決まった時
経営者になったからには、自らが属する業界ナンバー1の企業と取引をし、更にその企業の取引先の中で圧倒的なシェアを取らなければ当社の存在価値はないと思っていた。
商品は、自社オリジナルで自信があった。
私が起業してメーカーにこだわった理由の一つは「この世に名を残したい」という想いがあったからだ。
しかし、起業したての会社で、海のものとも山のものとも分からない会社とは、そう簡単に取引はしてもらえない。
担当バイヤーには、けんもほろろに断られる。
何としても担当バイヤーに切り込もうと、電話をしたり、手紙を書いたりあの手この手で取り組んだ。
コネを使ってトップダウンで入り込むことも出来たかもしれないが、担当バイヤーに面と向かって「やりましょう。」と言ってもらわなければ長続きはしない。
8ヶ月断られ続けて、万策尽きかけたある日。
「どんなものを作ったら取扱ってもらえるの?」と素直に担当バイヤーに聞いたところ、色々な要望を教えてくれた。
早速、ニーズに応えようと、自分で実験開始をした。
薬剤を調合しているとき、へんな煙が出て、ちょっとした騒ぎになった?こともある。
試行錯誤しながら「鉄粉・水アカ取りシャンプー&クリーナー」を完成させた。
担当バイヤーの要望事項に、更に付加価値をつけて応えた商品だ。
早速、これをもって担当バイヤーに会いに行ったところ、さすがに断わられることはなかった。
取引成立!
本当に心から嬉しかった。そして、15年経った現在も同商品は売筋商品として定番で輝いている。
この瞬間が我が50年の人生の転機になっている。
今では、英国ロールスロイス愛好家倶楽部から毎年6月には、年に一回行われるパーティの招待状が届く。
世界中の大富豪が、自慢のロールスロイスを披露するパーティである。
その数なんと2000台、英国の広大なグリーンの敷地に並べられた年代物のロールスロイスは壮大。
これも、唯一、ロールスロイス愛好家たちが認める英国製カーワックスの日本総代理店を獲得したからだ。
このカーワックスにも、我社のロゴが入っている。
大変名誉なことだと思っている。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
日々、天から与えられた修行だと思っているので、創業して半年で1000万円の資本金がわずか4,066円になったときも挫折感はなかった。
常に、来るもの拒まず、諦めず。
今与えられた環境の中でベストを尽くす。
人事を尽くしたあとは、神様に任せる。
宗教や占いは特に信じていないが、この世に神は存在すると思っているから。
◆夢は?
一人でも多くの人に喜んでもらえるように、ものづくり・サービスを提供できたら嬉しい。
起業したばかりの頃は、自分が儲かりたいと思う気持ちが強かったが、この15年で幸せなことに自分の手に入れたいものは大体手に入れることが出来た。
起業したときから、30年はがんばろうと思ってやってきたため、前半の15年はトレーニング期間として終了したので、これから後半の15年は結果を出して世の中に恩返しをしたいと考えている。
自分が満足できたのだから、少しでも社会に還元しなければならない。
また、これからのものづくりに対しては、ニーズに合っているのか?本当にそうか?ということが大事で、過剰な品質の追求は自己破壊に繋がると思っている。
これからは、説明書のいらないものづくりをして行かなければ、世界で通用しないだろう。
また、世界の展示会などに行くと日本人の消極さが目立つ。
日本から見たら、未熟な商品なのに他のアジアの国々は必死でアピールしている。
その差が、中国や韓国に現れているのかも知れない。
日本は、人も企業も引きこもり、もっと外に出てチャレンジをして良いと思う。
株式会社プレステージ
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