サイエンス・ライター21王!



株式会社ポントゥーン

代表取締役

富永裕久氏

2009.4.21


富永裕久

 

◆業種

 

編集プロダクション・サイエンスライター


◆子供のころになりたかったものは? 

特にこの職業というのは無かったが、理科系が好き。数学、哲学、科学も好き。

 

数学は、言語と同じように、人間が考えた「自然を記述するため、世の中の現象を映し出す手段」と考えている。

 

但し、工業系、ロボットや自動車は好きでは無い。

 

自然が好きで、人間が作ったものに魅力を感じない。テレビも殆ど見ないので、部屋に置いてない。

 

見るとしたらワンセグを繋いで、パソコンの画面でサッカーを見るくらい。


◆毎日欠かさずしていることはありますか? 

本を読む。

 

子供の頃から本が好きだった。

 


◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

強いて言えば、中学理科の先生。

 

より一層理科が好きになった。今でも、ずっと連絡を取り続けている。

 


◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

1、大学在学中、中国へ行ったとき。

 

二週間ほど滞在した。

 

このために日本で、ダクト(ビルの換気配管)取り付けのアルバイトをしてお金を貯めた。

 

裕福な旅ではなかったが、このとき色々なものを見て視野を広げていなかったら、今の仕事についていなかったと思う。

 

他の同級生と同じように、大手メーカーに勤めて普通の道を歩んでいたかもしれない。

 

場所は中国であったが、特に西洋人に影響を受けた。

 

あまり良いことをしたとはいえないが、日本の常識が世界の常識ではないことを知った。

 

中国の常識で、驚いたことがある。バスで2日間かけて移動したときのこと。

 

ずっと寝袋をかぶって、食事や休憩でもバスから降りない人がいた。

 

もちろんトイレにも行かない。なんと、遺体だったのだ。

 

地方で亡くなった家族を、自宅に連れて帰る為の移動手段。

 

自家用車なんてない家が殆どの時代、路線バスを利用するしかなかなかったのだ。

 

中国の貧しさを象徴しているかのように、印象に残っている。

 

2、大学に入ったとき。

 

高校を卒業時は、何になりたいか、何をしようか、やりたいことが見つからなかった。

 

東京に出て見ようと思った。東京には文化がある。

 

親戚も多いし、父の出身地でもあるので、とにかく東京に出た。最初の2年間は、模索し続けた。

 

色々な職業を体験したくて、学生でもないのに日本学生支援機構(大学生向け公共の仕事紹介所)に登録して短期の仕事をもらっていた。本当に様々な仕事があった。

 

お墓や、デパート閉店後の清掃。庭石運び、ホテルの下足番等。

 

あえて、色んな仕事をして見たかった。そして3年目になったとき、大学に行こうと決意した。

 

やはり、好きなことを仕事にしたくなったのだ。理科系か、文学・哲学と学部を迷った。

 

文学や哲学であれば、学校に通わなくても、独学でも、年をとってもできる。

 

実験が伴う理科系は、学校に通わなければできないし一人ではどうにもならない。

 

そう思って、理科系に決めた。働きながら大学を卒業した。

 

今ほど学費は高くないし、下宿代も月1万円ですんだ。

 

卒業後、本当はバックパッカーとして世界中(特にアジア)をみて歩きたかったが、金銭的に許されなかった。

 

かといって、直ぐに就職する気になれなかったので、友人の親が経営する印刷所にアルバイトで入った。

 

半年後、このままでいるわけにはいかないと思い、新聞に募集のあった編集プロダクションとしては大手に面接に行った。

 

100倍程の難関だったが就職できたのは、文系の希望者がほとんどの中、理系で、しかも印刷の実務経験があったことが有利に働いたようだ。最初は数行の原稿つくりから始まった。

 

全て、上司に確認してもらってからでないと、進められない。自分のペーズで、仕事ができない。

 

今なら2時間で出来上がる原稿も、当時は24時間かかっていた。それほど差があるのだから仕方が無い。

 

分かってはいるが、つらくて何度もやめようと思った。しかし自分は、原稿を書くのが好きだ。

 

原稿を書くことが面白い。色々なことに興味があって、本が好きな自分にとってはまたとない適職に思えた。

 

取材にいけるし、原稿も書ける。そう思ってがんばった。

 

3年たって、最終確認だけ上司に見せればよくなった。

 

そして5年後、やっと自分で好き勝手に企画・営業、原稿作成をさせてもらえるようになった。

 

そうなった頃、周りを見渡すとライターは30歳を過ぎるとやめてしまう人が多い。

 

転職先は、キャリアがなくても出来るような職業しかない。

 

40歳過ぎてもライターとして生き残っている人は、専門分野があるか経営者になっていることに気づいた。

 

そこで理系の専門家サイエンスライターになるか、経営者になるか考えた。

 

経営者の話を聞くと、資金繰りやキャッシュフローが仕事になり原稿は書かないという。

 

自分はライターとして、面白い原稿を書いて人をワクワクさせたい!

 

それだったら、サイエンスライターに決まりだ。

 

そこから、理系に特化した本の企画書を作って先輩方に見てもらった。

 

先輩方が出版社に口を聞いてくれ、採用が決まった。

 

「フェルマーの最終定理に挑戦」ナツメ社 1996年32歳のときだった。

 

一冊出来上がると、「こういうことをしています」と本を見せれば、本が名刺代わりになってくれる。

 

そこからサイエンスライターとしての道が開けた。今では、日本経済新聞の記事広告も担当している。

 

月に1から2回、2面程つかって企画・取材・原稿と手がける。原稿が書けるので楽しんでやっている。

 

 
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

下済み時代色々あった。しかし、やる気があればできる。

 

想いがそこそこかなわないのは、「本当にやいたいと思ってない」のではないかと思う。

 

 

◆夢は?  

 

21年後に外国(アジア)でカフェを経営したい!

 

どうして21年後かというと、社名に由来がある。

 

「ポントゥーン」表向きはフランス語で「橋をかける」といっているが、裏の意味がある。

 

「ポントゥーン」、英語の意味は「ブラックジャック」

 

トランプゲームのブラックジャックは21で上りだ。

 

21年間で上がり!という意味が隠されている。


著著に

「図解雑学 元素」(ナツメ社)

「図解雑学 パラドクス」(ナツメ社)

「右と左の不思議がわかる絵事典」(PHP研究所)

「目からウロコの宇宙論」(監修:佐藤勝彦、PHP研究所)

「目からウロコの脳科学」(監修:茂木健一郎、PHP研究所)

「人体の不思議」(監修:米山公啓、かんき出版)

 「遺伝子操作」(監修:海老原充、かんき出版)などがある。

 


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