アブカム株式会社日本支社
代表取締役
ニック ラインズ氏
2009/8/25
◆業種
抗体・試験試薬販売業
◆子供のころになりたかったものは?
プロのサッカー選手
イギリスは日本やアメリカと違って、野球ファンが殆どいない。
殆どがサッカーファンなのだ。小・中・高と休み時間は、皆でサッカーをする程だ。
それだけに、サッカー選手になるということは狭き門となっている。
大人になっても、居酒屋などでイギリス人が集まると、30分以内にサッカーの話で盛り上がる。
そんなお国柄だ。今でも、社内でフットサルチームを結成して、週に一回は練習をしている。
決して、サッカー好きを採用している訳ではないのだが、なぜかサッカー好きが多い。
もちろん女性も一緒だ!というより女性の方が多い。
社員のストレス解消にもなるし、社内コミュニケーションの場ともなっている。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
1、運動。
特にランニング。
ジムで1日5kmは走る。
2、三歳の子供へ、英語で書かれた本の読み聞かせ。
妻は台湾人であるが、夫婦間の日常会話は日本語でしている。
しかし、双方の両親はそうはいかない。
孫が母国語を話せないとコミュニケーションが取りづらいばかりか、淋しいものである。
そう思って子供とは英語で会話している。もちろん妻と子供の会話は中国語だ。
ちなみに結婚式は、アメリカのラスベガスで挙式した。
台湾からもイギリスからも、殆ど同じ距離の場所を選んだのだ。
国際結婚ゆえに、我が家では、何事にも公平がポイントになっている。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
両親
幼い頃から毎年夏になると、弟と妹合わせて家族5人で海外のキャンプに連れていってくれた。
テントや着替えを車に積んで、イギリスの港からフェリーに乗りフランスのキャンプ場へ。
テントを張って滞在する期間、パン屋で家族の食糧を買ってくるのが自分の役目となった。
簡単なことのようだが、最初のころは物凄く大変な作業だった。
ご存知のように、フランス人はフランス語しか話さない。
もちろん文化も違う。
しかし、そのお陰で、全く分からなかったフランス語が、年を重ねるごとにだんだん理解出来るようになるという喜びを味わった。
このことは、後の人生においても物凄い自信になった。
更に、中学の夏休みはフランスへ2週間の短期留学を経験させてくれた。
すると、フランス語の他、ドイツ語、スペイン語、イタリア語とどんどん他国語に興味を持ち、習得していった。
18歳の頃から、ローマ字だけでは以外にも興味を持ち、日本の漢字に魅せられた。
たくさんの経験をさせてくれた両親に感謝している。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
1、「波」
「波」という漢字はサンズイとカワで成り立っている。
その成り立ちや意味を知ったとき、物凄く感動した。
漢字は「ヘン」と「つくり」で成り立ち、その一つひとつに意味がある。
この感動が、大学で東アジアを研究し日本に留学するきっかけとなった。
2、confidence(自信)
幼い頃の小さな経験が、自分の人生の大きな自信になった。
そのお陰で、confidence(自信)が、人生のあらゆるシチュエーションにおいて役立っている。
友達を作るときも、仕事のプレゼンでも、デートのときも、スポーツでもconfidence(自信)は、最高の結果を作り出すために必須条件だ。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
19歳で日本の大阪に留学したとき。
9ヶ月のホームステイの中で、多くの日本人のやさしさや暖かさに触れた。
物凄くステキな思い出だ。もちろん!最初に覚えたのは大阪弁。
イギリスから来た、殆ど日本語もわからない外国人に皆やさしく接してくれた。
訳の分からないことばかり言っている外国人に対して、面倒くさがらずに会話をしてくれた。
語学習得には、 1、しゃべる! 2、しゃべる! 3、しゃべる!が鉄則だ。
自分が最初にフランス語をマスターしたときも、どんなに笑われようとしゃべって、しゃべって、しゃべった。
そして、自分のミスを一緒に笑った。
そうすることによって、一日も早く語学をマスターすることが出来るのだ。
日本語を習得出来たのも、大阪の皆さんが暖かく向かい入れてくれたお陰だ。
この頃、「日本とイギリスの架け橋になろう!」と決意した。
留学から戻り、イギリスの大学を卒業した。
卒業後、日本、文部科学省の「語学指導等を行う外国青年招致事業」・JET(Japan Exchange and Teaching)プログラムに参加、兵庫県に配属され3年の契約期間を過ごした。
その最終年にサッカーワールドカップが日本で開催された。
なんと!幸運にも自分が職員として働いている兵庫県を、イングランド代表がキャンプ地に選んだのだ。
偶然にしても、幸運に感謝した。
お蔭様で、ベッカムの通訳をすることができ、イギリス人として、この上ない感動と喜びを味わうことが出来た。
その後、大阪の貿易会社に就職。
世界中を飛び回るうち、旅行会社に勤務していた現在の妻と結婚。
結婚を機に、出産のこともあったため一旦イギリスに戻った。
その時、現会社、アブカム株式会社の日本支社スタッフの募集を見つけて応募。
代表者に選ばれ日本オープンに携わった。
イギリス・ケンブリッジにある親会社は、創立11年目の若い会社だが、抗体試薬では世界2位のシェアを占め
る会社だ。
取引先は販売店だが、その先末端ユーザーは殆どが大学の研究室。
抗体試薬で実験を重ね、新薬が生れていく。
比較的、不況に強い業種である。
そうはいっても、海外との取引や、日本国内の新しい取引先の開拓から人材の雇用育成までを手がけるのは結構やりがいがあった。
結果、当初3人でスタートした日本支社も現在は13人。
今年、手狭になったため現在の地に引っ越してきた。
これも、confidence(自信)を身に着けた強みだと思っている。
お陰様で、躍進中である。
◆問題障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
今。
国際結婚において、双方の家族に対する平等さや公平さといったことについて、今後どのように対応していくかを模索中である。
◆夢は?
3才の息子に、自分が経験させてもらったと同じような経験をさせてやりたいと思っている。
この子が20年後、自信をもって世界中の考え方をシェア出来るようなインターナショナルな人間に育てる。
語学を習得し、各国の文化を学んでほしい。
各人が、子供をきちんと育てることによって、次世代を作る世界中の子供たちが育つ。
責任をもって育てたい。
アブカム株式会社
コメントをお書きください